目標に向かって進むときには,どのようなアプローチをとれば自分にとって一番よいのかは自分にしか分かりません。自明のことです。
授業者がこれがいいと言っても,それはあくまでも過去のデータの蓄積から導き出される一般的な一つの示唆でしかあり得ません。授業者が一つのアプローチの方法を推奨するとしたらその根拠となるエビデンスを示して納得してもらうことが必要でかつ大切です。
教科書に出てるから,では子どもたちは納得しませんし,それでは教師にさせられている域から脱することはできません。自分では考えませんし判断もしませんし,当然ですが行動になって現れることはありません。教師に指示され怒られてようやく動こうとすることは目に見えています。
我々が行動を起こすときには、その必然性つまり目的と意義がなければならないことは歴史が証明しています。
授業で子どもたちが目標達成に向けてどのようなアプローチをとるか選択できるように授業者が準備してあげることが,彼らの学びを支えるよりベターな手立てであると言えます。
『学び合い』の考え方は,それに基づいて彼らの選択を促します。どの選択が自分にとってよりベターなのかは自分で考え判断し、行動を起こしてみてトライアンドエラーを繰り返しながら見つけていきます。それが20年後の彼らを幸せにするのです。
それが『学び合い』の考え方です。