信濃の国からこんにちは

信州大学教育学部の三崎隆です。私たちの研究室は『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

後期の授業が始まった

 どこの大学のそうであろうと思われますが,毎セメスターの終了時に受講生のみなさまから授業評価をしてもらっています。良かったと評価してもらえることもありますが,改善を求められることもあります。特に,改善を求められる点については次のセメスターに向けて工夫を施します。
 後期の授業が始まりました。全回の授業評価のコメントを受けて自らの授業を改善したつもりです。しかしながら,授業が終わると毎回,自らの授業の録画映像を開始から終了までくまなく見てみます。自分が自分のたった先ほど行った授業を自己評価します。もっと別の言い方にすべきであろう,もっと別の具体例がよかったであろう,もっと強調した方が受講生のみなさまに理解してもらいやすいのではないであろうか,と反省しきりです。
 自分の授業の録画映像を自分で見てリフレクションできる環境が整っていることを有り難く思います。

 

『学び合い』カンタン課題づくり

 私の書いた表題の本が出版されたのは2015年3月です。第5章に困ったことがあったときのためのQ&Aが10項目載っています。
Q1:子どもが答えを写すだけにならないか?
Q2:課題が時間内で終わらなかったら?
Q3:『学び合い』だと単元が終わらない?
Q4:教師用指導書に本時のねらい(課題)がない?
Q5:『学び合い』は1単位時間の課題のみ?
Q6:1単位時間に課題を2つ出してもいいの?
Q7:先に終わる子に,発展課題が必要?
Q8:課題づくりに失敗しないコツは?
Q9:『学び合い』に向かない課題ってあるの?
Q10:全校音楽や全校体育で『学び合い』をするときの課題は?
 すべてにポイントが書かれていて,今読んでも,簡単に課題づくりをするコツの宝庫に,へえーなるほどと思えてしまいます。7年半経っても,色あせない内容になっています。

 

発話の定番

 「やってみていいんだよ。遠慮しなくていいんだよ」
 「やってみてどうだった?」
 「(うまくいかなかったら)じゃあ,どうやったらいいと思う?先生には決められないなあ。」
 「そう思ったら,それって,やってみていいんだよ」
 「(うまくいったら)じゃあ,今度は意識してやってみていいんだよ。」
 『学び合い』の考え方のときの教師の発話の定番です。
 授業では,今日のミッションが示してある,必要なものはすべて教卓に用意してある,言いたいことは全部黒板に書いてあるし全部模造紙で貼ってある,できた人コーナーで学習状況が可視化してある,どこに動いてもOK,誰とやってもOK,何を見てもOK,だれといつ何をしゃべってもOK,です。
 教師の発話する言葉は,いいんだよ,と,先生には決められないなあ,です。『学び合い』の考え方導入直後なら,子どもたちの学習状況を随時可視化してあげても,いいんだよ。

 

明日の授業に役立つこと

 経験上,自分がその立場に立つと,明日の授業に即時的に役に立つことを学びたいという思いが強くなります。それを知りたいし,効率的に教えてほしいとも願います。しかしながら,よく言われることですが,明日の授業に即時的に役立つことは明日が終わるとすぐに忘れ去ってしまうそうです。先人たちの知恵は本当に素晴らしいもので,私も何度も失敗してきた経験があります。見かけに惑わされてしまったり社会的な状況に流されてしまったり,その繰り返しでした。自戒を込めて。見かけだけを繕おうとすることなく,本質を見逃さないように何が大事なのかをしっかり考えたいものです。なぜそれが必要で大切なのかを語り飛ばしたり語り渋ったりすることのないように心がけたいです。
 一見,明日の授業には全く役立たないように見える,思える,間違いなく役立たないものであっても,なぜそれが今必要なのかを吟味することによってその価値が分かるようになる,とはこのたびの学会での学習の意義に関する話題でした。

 

見通し

 見通しを持つことについて何回か記していますが,その見通しにも2種類の見通しがあるように思います。一つは,実現しなければならないゴールが明確になっている場合に持つ見通しです。実現しなければならないゴールは成果物として求められることが多くあるように思われます。論文,発表,作品,演奏等の各種パフォーマンス,試験もそうでしょう。期限が明確に決まっていることが多くあります。学校教育において多く現れます。
 一方,もう一つは,実現したいと願うゴールを持っている場合に持つ見通しです。このようにしたい,このようにありたい,こうなるといいなあ,と思い描きながらゴールを設定する場合です。今思えば,就職,結婚,子育て,居築,そして老後の送り方等の人生の見通しはこれに相当するのではないかと思うところです。同じ見通しという表現を使うものでも両者は大きく異なるように思います。具体的でどちらかと言えば個人的な状況に依存する前者に比して,後者はいかんともしがたい抽象性があり社会的な状況に依存するところがあるだけに,見通しの持ち方も一味違って見えてきます。見通しを持つことが重要で大切であると分かっていて,見通しを持ちたいとは言ってもなかなか難しさを感じます。

 

バードウオッチング

 バードウオッチングという鳥類観察の活動があります。一般には,樹木の生い茂る山林に移動し,樹木の枝に止まっているさまざまな鳥類の生態を双眼鏡等を使って観察している活動のことを指して使われる表現として知らせています。時には,カメラ等で特徴的な生態を記録に残すこともあるでしょう。私などは,フィールド調査に行って樹木をいくら眺めても,バイアスが限りなくゼロに近いので,さえずってくれない限り,どこにいるのかさえ見つけることができない素人です。さえずっていたとしても,星の数ほど見える葉々の間から,求める鳥を見つけ出すことさえ難儀です。
 私の研究室は,3階にあり研究室の南側の窓の外には5階まで伸びている高木の樹木が生い茂っています。誰も知らない人が窓から見える景色だけを見たならば,森林の中の一室にしか見えません。「軽井沢にいるみたいだ」は言い得て妙です。
 先日,窓の一番近くの(ほんの数十cm)の枝にオナガが2羽止まっているのを観察することができました。まさに,バードウオッチングです。ちょうど,どこから給餌してきたのでしょう,くちばしに餌をくわえていてまさに飲み込み瞬間でした。双眼鏡など全く必要なく,肉眼で彼らの生態をじーっと観察することができるようなベターなシチュエーションです。さえずっていてもいなくても観察できるから幸運です。しばし,観察活動に集中できた幸せな瞬間でした。
 すべての鳥類をこの窓から観察できているわけではないので,早急な結論づけはできませんが,私の観察した鳥類は餌をくちばしにくわえたまま,私の見ている窓外の目の前の枝に移動してきて,そこで身の危険が及ばないことを確認した(?)上で,くちばしにくわえた餌を飲み込む動作をしているようです。彼らにとっては当たり前のことなのかもしれませんが,教科書には書いてない発見がそこにあります。日々,深い学びが生起します。

 

後期がスタート

 長い夏休みが終わり,昨日から後期の授業が始まりました。暑さ寒さも彼岸までと言われますが,あっという間に秋がやって来ているようです。静かであったキャンパスには,学生のみなさまが戻ってきて賑やかさを取り戻しています。元気な声と楽しそうな笑い声が響き渡っている姿を見るのはやはり良いものです。彼らから元気をもらいながら,さあ,後期も頑張ろう!と思います。寒くなっていきますが,元気に過ごしましょう。