信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

失敗という表現

 教育界では失敗という表現がなされることがあります。その表現が成されるときと言うのは,思い描くゴールが明確に定まっていて,そのゴールに到達できなかったときに思わず口にしてしまう表現であることが一般的です。その表現を聞く度に,先人の”失敗は成功の素”という言葉を思い出します。
 日本の学校教育においては,先生がこの表現を用いる場面をしばしば見ることになります。学生の模擬授業等においても使われることが往々にしてあります。それだけゴールが明確になっていることであり喜ばしいことでありますが,一方で答えが一つしかない授業展開の弊害を垣間見ることでもあります。
 この表現を用いるのは,多くは教師であり子どもたちが用いることはあまりありません。教師には導きたい授業の最後のゴールがあって,そのゴールに導くことができなかったという自責の念がふつふつと湧いてくるからなのでしょう。しかしながら,子どもたちにとっては,常に毎単位時間一生懸命探究しているのですから,何が失敗なのかは分かっていません。自分たちが一生懸命取り組んだ成果であるだけに,それは自分たちの成果の一つとして評価してほしいものです。
 考えたいことは2つ。
 一つは,先生が導きたいゴールに辿り着こうとして取り組んでいたのですから,どの時点でどのような視点が不足していたのかどのようなアプローチが必要であったのかが知りたい,何をどのように改善すべきであったのかその過程を知りたいと思うところです。失敗のその前に,ゴールへの道筋を一緒に検討してみたいと思うのです。
 一つは,ゴールを明確に事前に子どもたちに示してあげたいものです。その上で,そのゴールに辿り着くために必要な材料,いくつものアプローチの在り方も含めて提示してあげたいものです。その中から,子どもたちに自由に選択させてゴールを目指すことができるような環境構成を整えてあげたいと思うところです。
 考えるのは子どもたちであり,決定権を持っているのも子どもたちであり,実行権を持っているのも子どもたちであるというスタンスで授業に臨みたいと日々思います。