信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

教えることはゴールに連れてくること

 今日も長いです。
 教えることは,子どもたちをゴールに連れてくることであると私は考えています。このことは,2022年11月30日にも書きました(https://ob1989.hatenablog.com/archive/2022/11/30)。現行の学習指導要領においては,3つの観点から明瞭に身につけるべき資質・能力が求められていますので,その点が特に強調されていると言えます。授業のゴールとしてどのような資質・能力が習得できているのかを適切に把握しなければならないことは自明です。
 ゴールがどこなのかが分からなければ,連れてきようがありません。子どもたち自身が分からなければ,ゴールに向かいようがないことは自明ですが,それ以前に,授業を実践する教師自身がどこにゴールを設定しているのかを明確にして授業に臨んでいなければ,授業に臨む子どもたちをゴールに連れていきようがないことは自明です。
 いろいろなところで多くの方々に語ることですが,ゴールを持たずに授業に臨むと言うことは,目的地が分からずに出発した飛行機に乗ることと似ています。飛び立ったはいいけれども,どこの飛行場にいくんですか?という問いに答えようがありません。着陸する場所が分からない飛行機に乗ることほど困ることはありません。だって,乗っている人には自分でどうしようもないからです。降りることもできず逃げ出すこともできない,戻ることもできないから。
 たとえば,「バナナの特徴を理解できる」という目標を立てたとしたら,どうでしょう?
 一見,よくできた目標のように勘違いします。とても具体的で分かりやすいからです。
 しかしながら,この目標を提示したときのゴールはどこですか?
 教師側の立場に立てば何が書かれていたら,子どもたち側の立場に立てば何を答えられれば,ゴールにたどり着いたことになるのでしょうか?
 「バナナはおいしい」ですか?
 子どもたちが「バナナはおいしい」と書いたら,その授業で○を挙げられますか?「バナナはおいしい」と書いても○をあげようと腹をくくっていれば大丈夫ですが,「バナナはおいしい」と書いてもそれはバナナの特徴を理解したことにはならないと判断されるのであるならばダメ(ゴールを設定していることにはならない)です。
 先日の日本一の『学び合い』学校の家庭科の授業では,授業者の方が「テストに出たときに書いてないとダメだよ」という評価基準を何度も語っていました。見事です。学校によっては,「そのような試験問題は出しません」と言われます(https://ob1989.hatenablog.com/archive/2022/09/09)から困ってしまいます。「”バナナはおいしい”などという答えはうちの学校の子はだれも書きませんよ」と言われそうですが,それにも困ってしまいます。授業に臨む前に,ご自身で明確な評価基準をもっていてほしいということを伝えたいだけのことです。
 つまり,教師側の立場に立てば何が書かれていたら,子どもたち側の立場に立てば何を答えられれば,ゴールにたどり着いたことになるのか(評価基準と言います)を子どもたちに示されなければアウトです。それが,ここで言うゴールです。「バナナはおいしい」と書いても,それがゴールにたどり着いていることにならないのであれば,「”バナナはおいしい”と書いてもそれはゴールにたどり着いたことにはならないよ」と子どもたちに明確に伝えなければなりません。活動に入る前に,です。
 換言すれば,教師の立場から何が書かれていたら,子どもたちの立場から何を書いたら,ゴールにたどり着いたことになるのかを活動前に子どもたちに伝えることが肝要であるということです。それは,答えとして提示することもあります。キー・ワードとして提示することもあります。
 もう一つは,ゴールにたどり着いたことをどうやって評価するのか,です。
 そう,評価方法です。
 教師の立場からすれば,ゴールにたどり着いたことをどうやって評価するのかですし,子どもたちの立場からすれば,ゴールにたどり着いたことをどうやって評価されるのか,です。
 『学び合い』の考え方では,ネーム・プレートを使うことがよくありますし,私の『学び合い』ライブ出前授業では授業の最後に確認テストを常にします。ネーム・プレートでゴールにたどり着いたことを評価するのか,確認テストを持ってゴールにたどり着いたことを評価するのか,授業前に決めておかなければなりません。もちろん,それを決めたら,授業の時に活動に入る前に子どもたちに周知しておかなければなりません。それがここで言うゴールです。
 私の『学び合い』ライブ出前授業では,確認テストがゴールなのでネーム・プレートはゴールでないことを伝えます。ネーム・プレートはあくまでも困っている子が誰なのかを分からない子が誰もいなくなるためだけに使う単なる手段にしか過ぎないことを周知しています。ですから,ネーム・プレートを使わなくても困っている子が誰なのかを分からない子が一人もいなくなる状況が生じているならば,ネーム・プレートを使う必然性はなくなります。集団内の構成員の数が極端に少ない場合はそれに該当します。
 ゴールにたどり着いたことをどうやって評価するのかを決めるのは,プロとして授業を実践される教員のみなさまです。『学び合い』の考え方であるから,こうしなければならないという決まった方法はありません。肝心なことは,それを授業前にしっかり決めておくことと,決めたことを授業において活動に入る前に子どもたちに周知することなのです。
 今日の結論です。
①教えることは子どもたちをゴールに連れてくることなので,ゴールが決まってなければ連れてきようがありません。
②教師の立場から何が書いてあればゴールにたどり着いたと判断するのかを授業前に決めておいて,活動前に子どもたちに周知することが大切です。
③教師の立場からゴールにたどり着いたことをどうやって判断するのかを授業前に決めておいて,活動前に子どもたちに周知することが大切です。
 最後までお読みくださり,ありがとうございました。