信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

今改めて思えば

 『学び合い』の考え方に基づいた授業を実践する場合には,子どもたちに何をさせたいのか,子どもたちにどのような資質・能力を身に付けさせたいのかを明確にします。その上で,本当に必要なものに焦点を絞ってゴールを設定します。
 今改めて思えば,先日の小学校第6学年の算数の『学び合い』ライブ出前授業の目標設定は,単純に知識及び技能を修得させる授業としてではなく,思考力・判断力・表現力等を修得させる授業にすべきであったのかもしれないです。昨日記した,子どもたちの学びの様態から再考すると,そのように改めて思うのです。子どもたちがあまりにも,「20÷60が分からない」「なんで60で割るの?」「なんで?」という声が聞こえてきて,しまいには「なんで?」であふれて大合唱です,となったからです。
 今考えれば,これも我々にとってみればあまりにも当たり前のこと過ぎて,考えお呼びもしなかったことですが,
①分数で表された時間を整数で表される分に変換する内容
②整数で表された分を分数で表される時間に変換する内容
のうち,①はかけ算になります。②は割り算になります。なぜ①がかけ算で②が割り算なのでしょうか?それさえ,子どもたちには分かっていなかったものと思われます。果たしてそれで,良いのでしょうか?
 つまり,
①はかけ算
②は割り算
なのです。
 そう考えると,先日の『学び合い』ライブ出前授業における目標は,ただ単純に計算だけを求める知識及び技能ではなく,なぜかけ算になるのかなぜ割り算になるのかの思考力・判断力・表現力等を身に付けさせることが必要なのでないかとも考えます。計算さえできればそれで良いのかなぜそのような計算が必要になるのか考えさせることが良いのかは,議論の分かれるところです。
 学校現場でいつも言われるのは,両方だということです。しかし,二兎追う者は一兎も得ずと言われるように,繰り返しになりますが『学び合い』の考え方では,本当にその単位時間で身に付けさせたい資質・能力を絞り込みます。まして,先日の子どもたちのあの会話から解釈して分からなさの根源を考えたときには,尚更,思考力・判断力・表現力等に絞った方が良かったのではないかとリフレクションできるのです。
 そこで,目標を次のようにする選択肢もあったことを改めて思います。
一つ。
「①1/3時間は何分でしょうか?この答えはかけ算で求めます。なぜ,かけ算で求めることができるのかについて,全員がクラスのみんなによく分かってもらえるように,自分の言葉で説明することができる。②20分は何時間でしょうか?この答えは割り算で求めます。なぜ,割り算で求めることができるのかについて,全員がクラスのみんなによく分かってもらえるように,自分の言葉で説明することができる。」
または別のもう一つ。
「①1/3時間は何分でしょうか?この答えは60×1/3で求めます。なぜ,この式(かけ算)で求めることができるのかについて,全員がクラスのみんなによく分かってもらえるように,自分の言葉で説明することができる。②20分は何時間でしょうか?この答えは20÷60で求めます。なぜ,この式(割り算)で求めることができるのかについて,全員がクラスのみんなによく分かってもらえるように,自分の言葉で説明することができる。」
 これに対する私の答えは次の通りです。
①の答え
 時間を分にするには,1時間は60分なので,1/3時間が60分のどれだけに当たるのかを考える必要があるので,60分の1/3倍にする。したがって,60×1/3というかけ算になる。
②の答え
 分を時間にするには,60分が1時間だから,60分を1として考えなおす必要がある。60分を1として考えたときに,20分が1に対してどれくらいの割合に当たるのかを考える必要がある。それはつまり,20分が60分に対してどのくらいの割合なのかを考えることと同じことである。したがって,20÷60という割り算になる。
 私としては分かりやすく説明したつもりですが,それでも,この説明では分かる人には分かるでしょうが,分からない人には分からないかもしれません。算数は奥深いです。
 もう一度,機会をもらうことができたら,次はこの目標にして挑戦したいと思います。