信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

分からないことを調べることのできる時間を分からない子どもたちに

 講演会などに参加する機会がありますが,一生懸命聞いていたとしても分からないことが出てくると,分からないことを調べてみたい,調べてみようとそのときに思うのですが,それはまずかなわないことです。かないませんから,分からないことは分からないまま過ぎていきます。分からないことが次の分からないことを生み出してさらに分からなくなります。もう,つまらない講演だとなってしまいます。せっかくの講演会が私自身の中でだんだんと意味を持たなくなっていってしまいかねません。
 講演会ですから,当然のことながら,分からないことが出てきたときにその場でそのときに自分で調べようとすることはできません。仮に調べることができたとしても,調べている間に講演はどんどん先に進んでしまいますから,置いてきぼりを食ってしまって分からないことがどんどん積み重なっていきます。自分の責任なのでしょうが,なんとかならないのかなあと思うのです。
 学校の授業ではどうでしょうか?
 授業に参加していて,もし仮に分からないことがでてくる子どもたちがいたとしたらどうでしょう?きっと私みたいに,その場でそのときに調べてみたい,調べてみよう,だれかに聞いてみたい,だれかに教えてもらえないかなあ,と思わないでしょうか?今の私なら,間違いなく思うでしょう。そんなときに,授業がさっと流されてしまったらどうでしょう?あなたが同じ立場であったら,いたたまれなくなりませんか?
 そんな経験をされたことのない教師なら,いたたまれなくなることなどないかもしれませんが,自分が授業を受ける立場に立ったときのことをリフレクションしてみれば,分からない子の気持ちが容易に分かることはないまでも,思いやることはできるのではないかと思うところです。
 せめて,授業の時に,子どもたち自身が調べてみたり自分でやってみたりできる時間,そう,子どもたちに任せてみる時間を子どもたちにあげることができないかなあと思うのです。分からない子の分からなさが多ければ多いほど,任せる時間は多く取ってあげることが良いのですが,限られた時間の中なので,無理なのであれば少しでもかまいません。分からない子どもたちのために,彼らに任せる時間を少しでもとってあげてほしいと願ってやみません。