信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

答え教えろよ

 ずっと以前に,ある都道府県の『学び合い』の考え方で授業をされている学校におじゃまして,『学び合い』の考え方で授業をしているというある学級での授業を参観させてもらったことがあります。『学び合い』の考え方を受け止めているというだけあって,全体を見ていると子どもたちの活動は闊達で,それは見事なもののように見えます。まさに,今流に言わせてもらえれば,主体的・対話的で深い学びが現れているようです。
 そこで,子どもたちに近づいて会話を聞いてみることにしました。そうしたところ,多くの子どもたちから聞こえてくる会話は「答え教えろよ」でした。あっちに行って「答え教えろよ」。ところが聞かれた子どもたちも分からずに,その子たちはしかたなくこっちに来て別の子どもたちに「答え教えろよ」。しかしながら,その子たちも分かりません。うろうろしながら,「答え教えろよ」の繰り返しとなりました。それが一人ではありませんでした。
 こうなると,表面的には,とてもアクティブで闊達,『学び合い』の考え方で授業が展開しているように表面的には見えますが,本質的には受け止めてもらっていないことが分かります。ほとんどの子どもたちにはゴールが見えていませんし,ゴールが見えている子どもたちにとってもそのゴールが果たして求められているゴールなのかどうか迷ってしまっています。
 まして,そのゴールに向かう過程に,トライ・アンド・エラーしながら一歩ずつ近づいていこうとしている様子が現れていません。そもそも,今トライしていることがゴールに向かう過程として必要な物であるのかどうかさえ,自ら判断できていない状況が生じてしまっています。そうなると,エラーを起こしたときに修正,改善の方向が見えてこないので,子どもたちにとってはただ意味のないトライを繰り返すことになってしまいかねません。
 子どもたちに活動を任せるためには,必要なゴールを明確に,それに向けて動き出すための選択肢となる環境を整えてあげることが肝要です。