信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

『学び合い』と学び合い

 教え手と学び手の間に横たわる一番大きなハードルは自動化です。教え手が教えたと思っていても,学び手が学んでいない現象が頻繁に現れるのは,それに依ります。やっかいなのは,教え手が自動化していると認識できていない点にあります。自分は自動化していると認識できれば,その解消のための処方箋も考えようがあるのでしょうが,そうではないのでやっかいなのです。
 かつては,『学び合い』と学び合いはどこが違うのか,をゼミでよく議論したものです。その当時でさえ,当たり前のことなので,なぜそのように熱く議論する必要があるのであろうかという疑念を持つことがあった位なのですから,今ではもう当たり前すぎて議論すらしなくなりました。自動化です。さて,『学び合い』と学び合いはどこがどのように違うのでしょうか?かつてのゼミ生ならば,説明することができる人もいたと思います。卒業後,時間が経ってしまった今,果たして何人の卒業生が説明することができるでしょうか?
 現象論的には全く同じなので,現象を見ているだけでは両者は区別ができず,見分けが付きません。『学び合い』は考え方ですが,学び合いは技術です。考え方と技術なので,その違いを一覧表にすると膨大な相違点を挙げることができるほどです。よく言われることですが,理解できているかどうかは情報が入力されたことで判断するのではなく,入力できた情報をアウトプットできるかどうかで判断することです。『学び合い』と学び合いの違いを説明できて初めて理解できていると判断して間違いないのです。