信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

理科って何の役に立つの?

 理科は将来役に立つ教科としての位置づけが低い教科の一つです。国語や算数,英語に比べると,理科って勉強して何の役に立つの?と言われます。以前にも書いたと思いますが,実際に,ある中学校第1学年の『学び合い』ライブ出前授業に出かけたときに,授業の真っ最中に手を挙げた子から,「先生,理科って何の役に立つんですか?」と聞かれたことがあります。続いて,「この人いらないって言ってますけど」と続きました。どのようなシチュエーションでどのような文脈での表現活動であったかが分からないとこのことの意味するところはなかなか伝わらないと思いますが。一生忘れることのできない出来事です。
 このことは,理科に限らず,あらゆる学びについて言えることです。今,学んでいることは何の役に立つんですか?,と。長野県内で,理科の研修会を開催しますが,参加された現職の教員のみなさまからも公の場で同じ言葉をかけられます。「今日の(理科の)研修は,(現場の)何の役に立つんですか?」と。唖然とします。
 考えてみてください。
 みなさまは,学んだことが役に立つと思う瞬間はどのようなときでしょうか?私の数少ない経験から言わせてもらえれば,学んだことを使う機会があるときではないかなあと思うところです。それも,1回だけでも役に立つと思う,1回くらいですと役に立っているはずなのですが役に立っていると意識できていないように思われます。
 ですから,1回だけではなく,何回も使う機会があったときではないかと考えます。それが,汎用性の高い学びです。最近はあまり聞かなくなりましたが,アクティブ・ラーニングとして我々に求められてきた教育は,まさに教科等の中で毎単位時間,その汎用性の高い学びを育てることを意図されていたところです。
 もっと言わせてもらえれば,何回も繰り返して使う機会があったときに,その都度,その学びによって高い効果を実感できたときなのではないでしょうか。何回も使う機会があったとしても,あまり効果を感じることができなければやがて使わなくなるでしょうし,まして役に立っているという意識を長期記録に残すことはないはずです。それもトライ・アンド・エラーの繰り返しになるとは思いいますが。
 今,学んでいることが,このあと何回も使う機会が待っていて,さらに使う度に効果が実感できるような学びを構築していくことのできる授業実践が必要です。また同時に,今学んでいることがどのような使用機会をもたらしそれによってどのような効果が得られるのかについて,具体的な見通しを持たせてあげることも同様に必要です。ただやみくもに学んでいるだけではその目的も意義も意味も分からず,その汎用性の高さもその実感性の高い効果も知ることはありませんから,学び続けることは難しいと言えます。