信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

話し言葉

 私たちの教育研究は,子どもたちの会話をトランスクリプト(録音された音声を文字にして可視化し表現したもの)にしてプロトコル分析(文字になった一人一人の発話・対話・会話から教育的な価値を見出すもの)を行っています。

 話し言葉と書き言葉が違うことを実感します。

 おそらく,授業中に自由にしゃべっている子どもたちに,今しゃべった言葉を書いてみてねとお願いしたら,同じ文章にはならないはずです。

 文字にすると言うことは,その先に誰かが読むであろうということを前提にするわけでしょうから,しゃべったことを文字にして書き表す時点で読み手に分かるように書き直し始めることでしょう。それだけ,話し言葉と書き言葉が使い分けられているというこです。

 その点に関しては改めてお伝えするまでもなくよく理解してもらえる経験をもっておられることと思うところです。しゃべっている言葉を文字にする段階で,子どもたちのその時点で考えていることが修飾されるであろうことは推測が可能です。誰かが読むのですから。しゃべっていればそのときに消えてしまいますが,文字になるとなかなか消えないことも頭をよぎるかも知れません。

 その意味においては,話し言葉からはそのときの子どもたちの本音を読み取ることができます。修飾されていない生の姿が現れてきます。録音されていたとしても,その録音から文字が起こされて記録に残り,その先に研究者が分析するであろうということまで推測する前に,今そのときの問題をなんとか解決したいという本音が勝るからではないでしょうか。

 『学び合い』の考え方は,その本音を大切にします。先生に指名されてみんなの前でしゃべったり文章にして提出したりするよりも,生の本音が現れやすい環境下でのおしゃべりから,彼らのそのときのリアル・タイムの本音を分析していくことができるからです。

 それが『学び合い』の考え方です。