信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

子どもたちが身につける子ども観

 相手にしゃべってもらうことはなかなか難しいことです。この歳になっても,二者面談でゼミ生に本音をしゃべってもらうことは難しいことですから。2021年2月23日に,教育相談でしてはならない10箇条を記しましたが,どうしてもこちらから相手を諭そうとしてしまいますから,押しつけになりかねません。
 『学び合い』の考え方は,ここ何回か書いてきましたが,分かった子が分からない子にしゃべってもらうようにする授業です。分からない子に知らず知らずのうちに,アウトプットしてもらっているのです。けっして,分かった子が自分の分かったことを一方的に,仮に一方的ではなかったとしゃべっている側が思っているとしても,聞いている側にとってはよく分からなかったり分かったつもりになったりしているだけで聞いているだけでしかありません,しゃべっているだけではありません。聞いている子が分かっていようがいまいが,分かっているのか分かっていないのかも確かめず,まあ確かめるにしても「分かった?」と聞くだけでしかないような,そのような伝え方でしかありません。
 聞いている相手,つまり分かっていない子に何が分かったのかどこまで分かったのか,本当によく分かったのかをしゃべってもらわなければ分からないのに,それをしないで自分だけがしゃべっているだけなので,分からない子は分からないまま終わります。
 分かった子が分からない子にしゃべってもらうような,ファシリテーターの役割を果たすのが『学び合い』の考え方なのです。これは,教師のスキルではありません。ここまで読んでいただけた方にはお分かりいただけていると,私は勝手に思っていますが,子どもたちのスキルです。だからこそ,『学び合い』はスキルではなく,つまり”教師の”身につける教育方法や教育技術ではなく,考え方なのです。教師がどれだけ身につけたとしても,それは子どもたちが身につけたこととは全く異なります。
 『学び合い』の考え方は,子どもたちがファシリテーターとならなければならないのですから,子どもたちのスキルであるとも言えます。分かった子が分からない子にしゃべってもらうということは,分かった子が分からない子の力を信じて任せていることに他なりません。そう,もうお分かりでしょうが,まさに『学び合い』の考え方の子ども観です。子どもたちに,子ども観が備わったのです。子どもたちに子ども観が備わったからこそ,つまり子どもたちが『学び合い』の考え方を享受し,子ども観を身につけたからこそ,一方的に教える行為ではなく,相手にしゃべらせる行為を選択できるようになるのです。
 それが,『学び合い』の考え方を子どもたちが享受するという意味です。一人の子が,自分以外の39人のクラスメイトの力を信じて任せることができるようになるという意味です。授業の時に顕著に表れるのは,分かった子が分からない子の力を信じて任せることができるようになるという意味です。そうなってこそ,初めて,子どもたちが『学び合い』の考え方を享受したと言えるのです。
 「答えを早く書いて!」とか,分かった子が一方的に解き方や自分の考えを教えているだけでは,『学び合い』の考え方を享受したとは言えません。
 分かった子が分からない子にしゃべててもらう,アウトプットしてもらうことができる技術(スキル)を身につけるのは,教師の教育技術(スキル)ではありません。たとえ教師が自分で修得できたとしても,それは子どもたちが身につけたことではない。子どもたち自身が,トライ・アンド・エラーしながら,繰り返し経験する中で自ら獲得していくしかないのです。繰り返しますが,だからこそ,『学び合い』は技術(スキル)や方法ではなく,考え方なのです。
 どうやったら相手に,分からない子にしゃべってもらうことができるのか,アウトプットしてもらうことができるのかを自然に身につける授業が,『学び合い』です。だから,『学び合い』は全員が目標達成できるのです。