信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

『学び合い』は分かった子が分からない子にアウトプットさせる(しゃべってもらう)授業

 今日は少し長いです。最後までお付き合いいただければそれほど嬉しいことはありません。
 6月20日に『学び合い』の授業は児童生徒全員がアウトプットの授業,普通の授業は児童生徒の多くがインプットの授業であるとお伝えしました。6月21日には,グループにして話し合い活動を促したとしても,6割から8割の子どもたちはインプットのまま終わってしまいますが,『学び合い』の授業は10割の子どもたちがアウトプットしますから分からない子が誰もいなくなることをお伝えしました。もう少し,ご説明します。
 『学び合い』の考え方を使った授業は教え合う授業ではありません。学び合う授業でもありません。分かった子が分からない子に一方的に教えてあげる授業でもありませんし,分からない子が分かった子から教えてもらう授業でもありません(『学び合い』と学び合いの違いを理解してもらう上では,ここがいちばん大切です)。だからこそ,『学び合い』が学び合いではない所以なのです。
 一般的に,教え合いとか学び合いと称する授業は,分かった子が分からない子に教えてあげる授業を言います。あるいは分からない子が分かった子から教えてもらう授業をイメージするはずです。先ほど”一方的に”という表現をさせてもらいましたが,そこには分かった子が分からない子に対して,自分の分かったことをしゃべって説明している行為が行われます。そこでは分からない子はただ分かった子のしゃべる内容を教えてもらって聞いているだけ,つまりインプットしているだけです。
 あるいは,分からない子が分かった子の助けを借りて,教えてもらう行為が行われます。そこでは,同じように,分からない子が分かった子から教えてもらいます。教えてもらうだけ聞いているだけなので,話を聞くだけですからインプットしているだけであり,分からない子がアウトプットすることはありません。
 これでは,分からない子にとっては,インプットするだけの授業なので,分からない子がアウトプットすることはありませんから,分からない子が分かることはありません。ここでいう分かるというのは,本当によく分かることがないという意味です。分からない子が分かっているのか分かっていないのかさえ,おそらく分かっていないのでしょうから,分かったつもりになって終わってしまうことが99%です。
 次のプロトコルをご覧ください。これは,ある小学校の第2学年の算数の授業で,『学び合い』の考え方で行われたときのものです。
C:「分からへん。」(中略)
D:「一緒に考えよう。」
D:「全部の数がこれでよかったん?で,全部の数と,あとね,何が分かるか。さっき,さっき,Hさんがいったこと。一つはね。」
C:「15個あります。何個か買ってきたので,全部で23個になりましただろ?」
D:「まず,最初はみかんが何個あった?」
C:「えーっと,15個?」
D:「で,で,まず最初の数は,15個。」
C:「うん。」(中略)
D:「これはさあ,引き算?引き算?足し算?」(中略)
C:「しゃきーん。できたや。」
 いかがでしょうか?
 分からない子のCさんのところに,Dさんがやって来て一緒に考えます。決して,Dさんが自分の知っていることを教えている構図ではないことが理解していただけることと思います。Dさんは,Cさんにしゃべらせながら,何を考えているのかを引き出しながら一緒に考えています。これが小学校第2学年の子どもたちだというのですから,『学び合い』の考え方の凄いところです。
 『学び合い』の考え方では,分からない子にしゃべってもらいます。考えさせて,考えた結果をしゃべってもらうのです。つまり,分からない子に知らず知らずのうちに,アウトプットしてもらっているのです。彼らの名誉のために,これは,授業者がそうしなさいと指導しているものではありません。彼らが,『学び合い』の考え方を享受することによって,知らず知らずのうちにそのようにすることが,一人も見捨てないことに直結するものであることをトライ・アンド・エラーすることを通して体得していったのです。
 『学び合い』の考え方は,分かった子が分からない子にしゃべってもらう活動をする授業であると言えます。『学び合い』の考え方を使った授業です,という授業の中でも全員の目標達成を果たしたいがために「早く,答えを書いて。」と言い出す集団の文化では,偽『学び合い』と言えます。うわべだけの『学び合い』です。あるいは,分かった子が分からない子に対して自分の考えをしゃべり続けている『学び合い』授業を参観することもあります。聞いている分からない子が分かっているのか分かっていないのかもしゃべってもらわないで「どう?分かった?」と迫っています。これも同様です。
 分からなくて困っている子にしゃべってもらわなければ,本当に分かってくれたのか分かってくれていないのかさえ,分からないのに。
 分かった子が分からない子に教えてあげたら,せめて「聞いてあげるから,分かったことを私に(僕に)教えてみて」くらいは言ってほしいものです。『学び合い』の考え方が享受されているとしたら,その授業は,分かった子が分からない子にしゃべってもらう活動をする授業なのですから。
 その意味において,『学び合い』の考え方を使った授業は,分かった子が聞き役になって,今流に言わせてもらえれば,分かった子がファシリテーターになって,分からない子の分かるまでの過程を後押ししてあげる授業なのです。
 『学び合い』の考え方を使った授業は,分からない子にアウトプットさせる授業なのです。分からない子がアウトプットできるからこそ,分からない子が45分なり50分なりの限られた時間の中で,目標を達成できるのです。それが,『学び合い』が学び合いではない所以です。