『学び合い』の考え方は,子どもたちに対して自分の考えや分かった(分かったつもりになっている?あるいは分かったと思い込んでいるだけ?の)ことをアウトプット(外化,可視化,見える化)してもらう授業です。
何度もお伝えしているように,アウトプットする作業は3つあります。①しゃべってもらう(語ってもらう),②書いてもらう(問題を解いてもらう),③パフォーマンスしてもらう,の3つです。
3つめのパフォーマンスしてもらうことを取り上げて説明させてもらうことがよくあります。たとえば,黒板で野球の物理学的な特徴をいかに説明したからと言って,それを聞いている子どもたちが野球が上手になるか説明されたことができるかと問われれば,そううまくはいかないというのはよくお分かりでしょう。
私はスキーが若干(ほんの少しだけ)できます。スキーのこつを教えて差し上げることができます。一言で言わせてもらえば,膝を曲げて腰を入れ,頭を動かさずに腰を左右に振るだけです。ただそれだけで,上級コースのいちばん上から万能に滑ってくることができます。どうですか?簡単でしょう。
しかしながら,先にご紹介した野球の話と同様に,そんなこと,わずか1行あまりのことを聞いたり読んだりしただけで上級コースのいちばん上に連れて行かれてはいどうぞ,と言われたって滑って降りてこれるわけがないことはよくお分かりのことと思います。
ところが,勉強となると,それが一変します。一度教えたら,だれもが,そう一人残らず全員が分かってくれると思い込んでしまいます。私もそうでした。実に不思議です。1回の授業で分かるわけがないはずなのに,1回授業すると,授業で教えた内容は誰もが,そう一人残らず全員が分かってくると思い込んでしまうのです。違いますか?
野球やスキーの例で言わせてもらえば,教えてもらってもできないので,何回も何回も一人でできるようになるまで練習するはずです。それも,血がにじむほど,というたとえがあるくらいに何回も練習します。
勉強も同じはずです。教えてもらったこと,つまりインプットされたことを1回くらいアウトプットしたとしても,それで分かることはなかなかありません。野球やスキーの例で言えば,1回練習したら上級コースのいちばん上から滑って来れますか?
授業の中で,何回も何回もアウトプットしなければ,なかなか分からないものです。何も見ずに誰にも頼らずに一人でできるようになるまで,繰り返しアウトプットすることが必要なのです。
それを可能にするのが,『学び合い』の考え方です。