信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

授業の最後に書く振り返り

 相手に分かってもらうためには,その相手にアウトプットしてもらうこと,つまり,①しゃべってもらうか②書いてもらうか③パフォーマンスしてもらうかのいずれかです。だから,聞く側にしてみればいやなことは分かっていますが,伝える側にとってはテストがいちばん分かりやすい方法です。
 分かったのであれば,何も見ずに誰にも頼らずにしゃべることができるはずですし,すらすらと書けるはずです。パフォーマンスできるはずです。その意味においては,授業の最後に”振り返り”と称して子どもたちにその授業時間を振り返って書いてもらう作業をしてもらうことがありますが,良い方法の一つです。リフレクションできるのですから。分かったのであれば,すらすらと書くことができます。
 ところが,我々がアウトプットするときには,文脈に依存し理論負荷がかかるので,今流に言わせてもらえれば,バイアスがかかるので,その子の持っているバイアスがかかったまま,振り返りを書くことになります。面白さのバイアスがかかったままの子であれば,面白かったか面白くなかったかを書くことになります。面白さの操作的定義は人それぞれなので,その子の持っている面白さのバイアスのまま書くことになるのです。教師の面白さとその子の面白さは,バイアスが違います。
 ですから,なんでもいいから振り返りを書かせることは,自由である点からすると価値あることであり,その自由度の極めて高い状況の下で,授業者の求める記述が現れたら占めたものです。でもそれは,教師のバイアスとその子のバイアスだけがたまたま一致していただけなのかもしれないと言うことを忘れてはいけません。
 『学び合い』の考え方でも,授業の最後に振り返りつまりリフレクションをしますが,子どもたちの持っているバイアスがかかからないように,教師と子どもたちのバイアスを一致させます。それが『学び合い』の考え方の特徴の一つでもあると言えます。
 その意味において,『学び合い』の考え方は,教師と子どもたちのバイアスを一致させるものであるとも言えるでしょう。だからこそ,考え方であると言われるのです。