信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

隠れた魅力

 この前,全体ゼミで7年前の『学び合い』の考え方をみんなで共有した授業を参観しました。7年経っても『学び合い』の考え方は普遍です。

 ただ,目標設定の仕方とか評価の仕方とかは教師がそのときどきの状況に応じて設定しています。そのときには,目標達成の一つとして下学年の子どもたちに分かってもらえるように説明することを求めています。この,同じクラスの友だちではなく下学年の子どもたちに説明することを求めることがミソでした。

 下学年の子どもたちですから,今その子たちが勉強していることは全く分かりません。言葉一つ使うにしても,下学年の子どもたちが分かるように使わなければなりません。それだけ高度な技術を伴います。高いレベルのことを求めているのです。何も知らない人に分かってもらおうとして説明を考える事ほど難しい事はありません。ある程度知っている人に説明する方が余程簡単です。あまりにも高いレベルのことを求めすぎていたことから,今では下学年の子どもたちに説明することはもとめなくなりました。同じクラスの友だちに説明して分かってもらえるようにする,というレベルに留めています。自分と同じことを勉強してきた履歴を持っている,ある程度知っている人に説明する方がハードルが低いからです。

 何も分からない人への説明は難しいのです。

 その意味においては,『学び合い』の考え方を全く知らない人に説明することほど難しい事はありません。『学び合い』と学び合いの違いさえ,混同していて全く分かっていない人にゼロから分かりやすく『学び合い』が考え方であり,その考え方とはかくかくしかじかであることをより良く理解してもらえるようにするのは一苦労です。

 私たちの研究室では,先輩たちが新しく入ってくる新ゼミ生たちにそれを実践しています。1年経つと,不思議なことに何も知らない下学年の新ゼミ生に説明できるだけの力量が少し付いています。立派なものです。

 何も知らない人にどうやったらより良く分かってもらえるようになるのかを考えながら学んでいるのが『学び合い』の考え方です。実は,何も知らない人にどうやったらより良く分かってもらえるようになるのかを考えること自体が,自らより良く理解することにダイレクトにつながるのですが,なかなかそれは理解されません。

 『学び合い』の考え方の隠れた魅力かもしれません。