信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

困り感がよく分かるから

 大相撲の世界では横綱になったことのない師匠は横綱を育てられないと言われるそうです。必ずしも真ではないのかもしれませんが,一理あるかも知れません。自分が経験したことのないことを教えられないことは自明です。相撲をやったことのない人には相撲は教えられないのは考えてみれば当たり前のことです。自分がつまづいたり困ったりしたときに苦労してなんとか解決した経験から学んだことは,同じことでつまづいたり困ったりして苦労している人に対しては教えてあげることができます。もちろん,教えてあげたからと言って,相手がよく分かってくれるかどうかは相手にしか分からないことは重々承知の上です。自分ならこうやってなんとか乗り越えることができました,と。

 私にとって,今まさに,オンライン授業が始まって苦労しているZoomミーティングは,それに当てはまります。「自分はこうやってなんとかしましした」とか「そのときには,こんなふうにやったらなんとかなりました」とか。自分と同じ困り感を持っている人には伝えられます。困った状態からこうやるとその状態を解決できることを経験したばかりなので,より一層困り感が分かり,そのときにゼロからスタートしてなんとかゴールに辿り着いたのだというノウハウを伝えることができるからです。自分もまったく同じ困り感を持っていたのですから,その困り感を共有できるからです。これが,ICTのプロだったら,困っている人の困り感がよく分からない現象が起きます。挙げ句の果てに,これ以上のサポートは難しい,と言われてしまって終わるのが落ちです。あるいは,そんなこともわからないでZoomミーティングをやろうとしているのかとまでは言われないまでも,あきれ果てられていやいや感が知らず知らずのうちに伝わってきます。ICTのプロにはそんな気持ちはなくても節々に感じられるのです。こんな初心者相手のサポートはいやなんだな,と。ですから,本当に困っている人にとっては,本当に困っていてそこからなんとか這い出せた人からその抜け出し方を聞かせてもらった方が有り難いことがたくさんあるのです。

 学校教育の教科の授業でも同じ現象が起きます。教師にとっては,困っている子がいると教師がなんとかしてあげられると思うのでしょうが,もちろんなんとかして挙げられることもありますが,荘ではない場合が多いです。困っている子が何が困っていてそれをどのようにしたら解決してあげられるのかを分からない教師が考えるのですから,ピントがずれることは往々にして生じます。まして,その教科の得意な子が困っている子のサポートに入ったとしても,その子は教師と同じようにその教科が得意なのですから,困っている子が何が困っているのかはよく分からないものです。だって,自分は何も困らずに問題を解決できるのですから,なんでそんなところでつまづいているのか分かるわけがありません。挙げ句の果てには,「早く,答え書いて」とせかします。

 ですから,困っている子にとっては困っていてなんとか抜け出せた子からのアドバイスの方が,教師から教えてもらうよりもその教科の得意な子から教えてもらうよりも何倍も効き目があります。だって,自分と同じように困っている状況から抜け出せる方法を知っているのですから,それを聞かせてもらった方がより効率的で,問題解決に一直線です。

 『学び合い』の考え方では,そのような現象が1単位時間の中で随所に現れます。『学び合い』の考え方の下で動き出す子どもたちの様子をご覧になったみなさんからは,よく,「分からない子が分かるようになったら何もしなくなるんではないですか」と聞かれます。分かったら遊び始めるのではないかという心配です。それは,前述のとおりの現象に依って払拭されます。分からない子が分かるようになったら,今度は自分と同じように分からなくて困っている子に,自分が分からない状態からどのようにして抜け出せたのか,自分のその経験を伝えに行くのです。自分が経験したことは教えてあげられますから。

 それが『学び合い』の考え方の魅力の一つです。