ほんの少しでも文脈が変わるだけで分かったりできたりあるいはやる気が俄然ふつふつとわき出てくることがある話題を,一昨日取り上げました。
この歳になってもそうなのですから,初等中等教育を受ける子どもたちなら尚更のことであろうと推測されることに疑いの余地はありません。分からなくて困っている子どもたちやできなくて困っている子どもたち,あるいはやる気が全然なさそうでなんとかしてあげたいと思わせる子どもたちに対しては,ほんの少しだけ文脈を変えてあげれば良いだけのことです。
しかしながら,その,ほんの少しだけ変えてあげるだけで良い文脈を,数ある文脈の中かkらその子にとって最善の文脈がどのようなものなのか探し出すこと,判断することはかなり難しいことです。わずか,ほんの少しだけなのですが,そのほんの少しが難しいのです。ほんの少し変えてあげるだけで良い最善の文脈探しが,難しい。
より良い文脈を探し出すだけでも難しいのに,最善の文脈を探すことなど,夜空を見上げて振ってくるような星の中から一つの星を見つけ出そうとする作業のようです。
案外,自分のことは自分が一番よく知っているものですから,こんなときにはこんなふうにしたらなんとかなりそうだというのは自分のこれまでの経験上,分かっています。
ただ,毎日の教科の授業の時にそれを公然とできるかどうかとなると,できないことが圧倒的です。最善の文脈を自分の経験から自分で探し出すことができれば,自分にとって効率的です。これがいいよと言われても,それはあなたにとっての’いい’でしょうが,私にとってはそうじゃない,と言いたいのですが,なかなか言えません。素直に言えるのは,本当に自分のことを分かってくれている心通う一握りの’友だち’だけでしょう。
各教科の授業の時に,ほんの少しの文脈を変えても良い環境が整っているだけでどれだけ分かったりできたり,そしてやる気が俄然出てくることでしょうか。そのためには,各教科の授業の時に自由選択できる環境が整っていることが必須です。何をしてもいいんだよ,と言ってもらえるだけでどれだけ救われることでしょう。
『学び合い』の考え方は,それをかなえます。