信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

原因の特定は難しい

 授業実践における教育研究で成果が上がったときに,その成果が何によってもたらされたのかを特定することは極めて難しいものです。こんなふうに書くと,それはその先生の指導の成果でしょ,と言われそうですが,指導の成果なのかどうかはいくつかの条件を制御して実証しなければ断言できるものではありません。教育現場には様々な要因が働きますから,成果が一概に教師の指導によるものかどうかの言明は慎重さが求められます。当事者にとっては当たり前のように主張したいのでしょうが,なかなかそうではありません。条件制御してやってみると,案外,その先生の指導ではないことが多いものです。
 エラーを起こした場合はどうでしょう。
 エラーを起こした場合も,その原因を特定することは極めて難しいことに変わりはありません。成果を上げたときと同じかそれ以上に難しいです。たとえば,理科の授業で,豆電球の観察,実験をすることがありますが,豆電球が点灯しなくなったとき,大騒ぎするのを思い出していただければおわかりいただけることと思います。
 我々は,授業中に子どもたちがトライ・アンド・エラーを起こすことを容認して待つのですが,エラーを起こした子どもたちがその原因を自分で見つけ出すことも,先と同様にとても難しいことです。エラーを起こした次の授業で,いきなりすべてうまくいくなどということはめったにお目にかかることはありません。幾多の経験を積んできた大人でさえ難しいのですから,はじめての子どもたちや経験のまだ少ない子どもたちには推して知るべしかもしれません。経験上,うまくいくときはだいたいが偶然性に依るものと思って差し支えないのではないかと思います。
 ここでも,待つことが大切です。一般に,日本の学校教育の場合,子どもたちの活動なり子どもたちの考えなりを待つことはなかなか歓迎されませんし,待つこと自体が行われることはまずないのが普通です。どうしても,より効率的に子どもたちに情報を伝達したり限られた時間の中で簡潔にさまざまなことを成し遂げたりしなければなりませんから,無理はないのかもしれません。
 『学び合い』の考え方は,単位時間内の子どもたちの活動で彼らの自主性,主体性,対話性,協調性,調整性を待つのですが,それだけにとどまることなく,トライ・アンド・エラーによる次へのステップも待つのです。エラーを起こし続けても,彼らの力を信じて,彼らが彼ら自身で彼ら(みんな)のための次の一歩を踏み出してより良い道筋を見つけ出すまで,じっくり待ちましょう。