信濃の国からこんにちは

信州大学教育学部の三崎隆です。私たちの研究室は『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

あの子は先生の担当だ

 『学び合い』の考え方では,よく言われることですが,特別なニーズを必要とする子どもたちがいたとしても,その子どもたちに教師あるいは補助員のみなさまがつきっきりになる必要はない,と。特別なニーズを必要とする子どもたちのことは,集団の中の子どもたちに任せましょう,というのが『学び合い』の考え方です。子どもたちは,その特別なニーズを必要とする子どもたちとどのように係わっていったら良いかを,授業中に,トライ・アンド・エラーを起こしながら折り合いを付けて学んでいきます。長い人生においては,必要なことであると私は考えます。
 『学び合い』の考え方では,特別なニーズを必要とする子どもたちに教師や補助員のみなさまがつきっきりになると,その特別なニーズを必要とする子どもたちは先生が担当するのだなあという考えを持つようになります。つまり,あの子は先生の担当だ,と。そのような考えが,その集団内で当たり前になってくると,だれもその子に近づこうとしなくなります。近づけば,先生がやってきて先生が担当してくれますから,子どもたちの出番はなくなります。たとえ近づいたとしても,常に先生がいてその子と係わっていますから,自然に離れていきます。このような現象は,『学び合い』の考え方を議論するときにはごく当たり前のように語られます。
 特別なニーズを必要とする子どもたちがいたとしたら,子どもたちに任せてみてはいかがでしょうか?魔法の言葉の一つに「みんなはどう思う?」があります。みんなはどう思う?と尋ねてみてはいかがでしょうか?
 外国籍の子どもたちがクラスの中にいたらどうでしょう。外国籍の子どもたちは先生の担当だと子どもたちは思っていませんか?不登校の子どもたちがクラスの中にいたらどうでしょう。不登校の子どもたちは先生の担当だと子どもたちは思っていませんか?子どもたちがあの子は先生の担当だと思っている限り,子どもたちは何も考えませんし,仮に考え判断したとしても教師が期待する行動を起こすまでには至りません。
 何度も繰り返すことになりますが,先生からああしろこうしろ,こうやってもらえないかなあ,○○さん頼むよ,と言われて行動を起こしているうちは何も状況は変わりません。先生から,みんなはどう思う?と問いかけられて心に響いた子どもたちがいて,その子どもたちが先生に言われるわけではなく,心の底から何とかしようという思いを持って行動を起こしてこそ,集団が変わっていくのです。
 あの子は先生の担当だ,という文化が集団内にある限り,状況は何も変わりません。『学び合い』の考え方は,先生の本気度が問われるのでなかなか難しいことです。中途半端にやってしまうと改善どころかかえって状況を悪化させかねないからです。
 個別指導よりも集団に対する指導を積み重ねていくところが,『学び合い』の考え方の特徴の一つなので難しさを感じられるようです。
 特別なニーズを必要とする子どもたちや外国籍の子どもたちや不登校の子どもたちへの指導は教師の仕事です。学校教育においてはそれをそれぞれ個別に指導することによって解決を図っています。しかしながら,我々は集団に対する指導によって解決しようとする考え方です。
 したがって,いずれも教師の仕事なので,担当して当たり前のことなのですが,その当たり前でるという観をパラダイム転換するのが『学び合い』の考え方なのです。パラダイム転換することはとても勇気がいることですし,高い英断力が必要ですし,不断の実行力を伴うがために,不安とためらいが大きく,たとえ挑戦してみたとしても,余程の事(問題意識・勇気・強い意思・英断力・実行力の高次元での維持,我々はそれを本気度と呼んでいます)がない限り,長く続かないのです。