学びが成立するか否かを決定するのは,教え手ではなく学び手であると言われて15年が経っています。このように書くと,学びとは何ですか?という質問を受けそうです。学びの操作的定義がはっきりしていない限り,学びの成立が教え手ではなく学び手にあると言われても納得いかないことに依ります。
先生がどんなにがんばっても,児童生徒のみなさんの学びが成立するかどうかは分からないのです。それは児童生徒のみなさん次第なのですから。先生ががんばって,児童生徒のみなさんの学びが成立するのは,先生と同じレベルにある児童生徒のみなさんだけであることもよく知られています。
よく言われることですが,先生には分からない子が何が分からないのかが分かっているのでしょうか。マン・ツー・マンでさえ難しいことなのに40人もいたら,とても難しいことであるのはよく分かります。過去の経験から導き出すことはできても,それが目の前の児童生徒のみなさん一人一人に当てはまるかどうかは,分からない子にしか分からないことではないのでしょうか。学びが成立するのは学び手に依存するのです。