信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

【2011.1.21再掲】異学年

 異学年学習の成果が挙がってきています。一言で異学年学習といいますが,その中身を見ると色々あることが分かってきます。異学年学習と聞くとどのような学習をイメージされるでしょうか。当県で行われている連学年のように,通常,異なる学年の子どもたちが一緒に学ぶ学習を指して言います。一緒に学ぶのですから,同じ空間で学ぶことを指しますが,背中を向け会いながら学ぶ場合もあれば横に一緒に並びながら学ぶ場合もあるでしょう。同じ教科・領域もあれば異なる教科・領域もあります。同じ教科・領域であったとしても,同じ課題で学ぶ場合もあれば異なる課題で学ぶ場合もあるでしょう。実に様々です。
 そのような様々な異学年学習が始まると子どもたちはどの学年の子どもたちと関わり合いながら会話するでしょうか。同じ学年の子どもたちと関わり合って会話する場合もあれば,異なる学年の子どもたちと関わり合って会話する場合もあるでしょう。異学年学習と聞いたと時,子どもたちが異なる学年の子どもたちと関わり合いながら会話すると一般的にイメージするでしょうが,実際にはいろいろな子どもたちと会話しています。自由に関わり合う環境が保証されている場合には,同じ学年の子どもたちとも会話しますし,異なる学年の子どもたちとも会話します。実際の異学年学習を参観すると,決して,異学年学習だからといって,異なる学年の子どもたちとだけ関わり合いながら会話するものではないことを見つけることになります。
 異学年学習で学ぶ子どもたちの中には同じ学年の子どもたちとだけ関わり合って会話している子どもたちも,当然のことながら,います。それでは,異学年学習で同じ学年の子どもたちとだけ関わり合いながら会話している子どもたちは,異学年学習でなく同じ学年の中で『学び合い』授業をしているときと比べて何も成果はなく,格段の違いはないのでしょうか。実は,そうではないのです。明らかに違いが現れてきます。同学年での『学び合い』よりも異学年での『学び合い』の方が,たとえ同じ学年の子どもたち同士だけで関わり合いながら会話しているだけであったとしても,その会話の中身が異なっているのです。
 同学年集団で『学び合い』を行っているときには互いに関心を持たずに会話が成り立たなかったり,会話しようとしても強制的に終わってしまったり,あるいは安易に合意して会話が終わってしまったりしているものが,異学年集団での『学び合い』になると,それらの会話が少なくなって,その一方で,互いの知識や技能,あるいはこれまで経験してきたことなどを会話しながら情報を交換するようになっていくのです。
 これは不思議なことです。同じ空間の中に,下の学年の子どもたちがいる,あるいは上の学年の子どもたちがいる,というだけで学ぶ意欲が変わってくるのでしょう。私達の学ぶ意欲は私達が置かれる学ぶ環境によって影響を受けますから,どのような環境の下で学ぶのかによって学ぶ意欲が高くもなったり低くもなったりするから不思議です。異なる学年の子どもたちと,直接,関わり合いながら会話しなくとも,同じ空間の中に下の学年あるいは上の学年の子どもたちがいるというだけで,会話の質が改善される不思議なのです。この不思議さは,百聞は一見に如かず,ですから,自分の担当している学級の子どもたちで実際に目の前で起こっている現象を確かめない限り,信じがたいことかもしれません。