私は,子どもから学ぶ教師の会長野支部を主管していますが,学校現場で学ぶ子どもたちから学ぶことは星の数ほどあります。日々,子どもたちから教えてもらっています。おそらく,子どもたちはこの私に教えているなどという感覚は微塵も持っていないはずです。教育の面白いところでありまた教育の難しいところでもあります。
先日の"これぞ『学び合い』"の学校(小学校です)でもまた,第3学年の子どもたちから教えてもらいました。忘れることのできない彼らの一言があります。それが,「『学び合い』の紙どうしますか?」です。私の『学び合い』ライブ出前授業が終わって挨拶を終えて,さあ校長室に戻ろうかなあと思ったその矢先に聞こえてきた神の言葉ともいえる子どもたちの声です。私に対してかけられた声ではなく,そのクラスの学級担任の先生に対していつものようにかけた子どもたちの声だからこそ,貴重であり大切であり,そのクラスの『学び合い』の考え方の共有度が高いことを示す証でもあります。
私は『学び合い』ライブ出前授業をするときには,ワークシートを使用します。名前を書く欄はありません。したがって,子どもたちには配りますし,使い方の説明をしますが,使っても使わなくてもいいんだよ,と語ります。そのワークシートとは別に確認テストで使用する力だめしの用紙があり,そこには名前をしっかり書いてもらうように作ってありますから。肝心なのは,授業の最後の確認テスト,つまり力だめしのときに目標が達成できていれば良いのですから,ワークシート,つまり学びの途中においては使っても使わなくても,何回間違っても何回書き直しても,友だちの答えを写しても,何も書かなくても何も問題はありません。「あなた方のゴールは,確認テストだよ」,と。
ですから,確認テストは集めますが,ワークシートは集めません。
前述の子どもたちの「『学び合い』の紙どうしますか?」で言うところの「『学び合い』の紙」はこのワークシートのことを指していることはすぐに分かりました。未だかつて,その用紙のことをそのように呼んだ子どもたちはいませんでした。彼らが初めてです。これは単なるワークシートであって,『学び合い』の紙なんかではない,というのが私のそれまでの認識だったからです。それだけに,「えーっ,なんなんだ?この(小学校第3学年の)子どもたちは?」という驚愕が心の中に渦巻きます。
この驚愕さは,小学校第3学年の子どもたち,つまり小学校高学年や中学生ほど年齢が上がっていない発達段階の子どもたちなのに,という思いと,『学び合い』ライブ出前授業なんだからそれほど『学び合い』の考え方で授業をした経験を持っていないであろうに,という2つから導き出される私の勝手な思いが根底にあったからこそ,湧き上がってくる感情です。その意味においては,私は彼らに謝らなければなりません。あなたがたがそこまで卓越しているとは知らずに見誤っていてごめんなさい。
私にとって,『学び合い』の紙と言えば,小学校第2学年の子どもたちが裏紙を使って,お友だちとの関わり合いのために使用する紙のことを指していたものです。ワークシートとは別に。
へえーっ,そうなのか,彼らが『学び合い』の紙と呼ぶからには,普段から同じような使い方をしている紙を使っているんだなあ,とすぐに納得しました。経験がなければあるいは少なければ「『学び合い』の紙」などという言葉は使うことを知りませんから,出てきようがないのです。それが,ごく普通にごく自然に,そうまるで何気なく「自分たちにとってはそれが当たり前だ」のように言い放つのですから,恐れ入りました。普段から,おそらく,毎日毎単位時間いつも使っているから,当たり前のようにその言葉が出てくるのでしょう。頭が下がります。凄い3年生たちです。
確かに,授業後の今私が自分で自分の授業をリフレクションしてみると,彼らは私が配った紙,そう彼らが言うところの『学び合い』の紙を大事そうに抱えてお友達のところを回って,お友だちとの語り合いにとても上手に使いこなしていた様子を思い出すことができます。あっちもこっちもそっちでも,あの子もこの子もその子も,です。そんなことを普段から続けているなら,あのわいわいがやがやがすぐに現れてみんなでみんなができる状況ができあがる文化があることは何の不思議でもないです。本当に本当に凄い3年生たちでした。
『学び合い』の紙どうしますか?を私の耳に残してくれた,"これぞ『学び合い』"の学校の3年生のみなさまは,みんな凄い子どもたちです。これからは,彼らに教えてもらったように,『学び合い』ライブ出前授業で使用するワークシートを「『学び合い』の紙」と呼ばせてもらうことにしようっと。小学校第3学年の児童のみなさま,大切なことを教えてくれてありがとうございました。
"これぞ『学び合い』"の学校の第3学年の子どもたちに,もう一度会ってみたくなりました。