信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

分かると分からないと

 分かると嬉しくなりますし,満足感,充実感を味わいます。面白くてその教科が好きになります。ところが,分からないととたんにやる気が失せますし,面白くなく,嫌いになります。その教科を好きになるかどうかは分かるかどうかに依存することが知られています。まして,周りの人たちが分かった状況が生じると,自分だけ取り残されているようでとても辛いものです。
 以前,現職のみなさまを対象として,『学び合い』の考え方による模擬授業をしたときに,次から次へと分かったという声が聞こえていくので,まだ分からなくて困っている人は,うるささといらだちとあせりを感じるという感想をもらったことがあります。さもありなんです。その気持ちはよく分かります。あっちで,分かったという声がして,こっちでも分かったという声がして,向こうでも分かったという声がしたら,自分がまだ分かっていないだけに,考えている最中にうるさいなあと思うでしょうし,早く分からなければとあせってしまったりいらだちを覚えてしまったりするでしょう。当たり前のことかもしれません。
 私にも経験がありますが,そんなときに,周りの人たちが誰も自分に声をかけてくれなかったり自分と同じ力量であると思っていた人だからあの人なら自分と同じように分からないだろうなあと思っている人が分かったりした場合には,悲しい思いを持つことになります。
 初めてのことばかりなのですから,最初はみんな分からないところからのスタートです。分からなくて当たり前なのですし,みんなが一斉に同時に分かるようになることなどあり得ないのですから,分からないことからどのような形であったとしても抜け出させてあげられることを考えたいものです。分からないことのつらさを共有したいです。