信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

何から説明を始めるか

 論文の書き出しは難しい物です。どのような書き出しにしたら読み手により良く分かってもらえるかが決まるからです。「近年,世界の理科教育では...」と書き出すのか,もっと焦点を絞って主張したいことに特化した書き出しにするのかによって,その論文の問題の所在がどこにあるのかが明瞭に伝わるかそうでないかが別れます。悩ましいところで,いつも時間を費やして考え込んでしまうところです。
 同じことが相手に説明しようとしたり何かをお願いしようとしたりするときにも言えます。どこから説明したらよいかは迷います。親しい人ならば,ダイレクトに言いたいことだけを言えるのですが,そうでない場合にはそうはいきません。とても親しい人であったとしても,言いたいことをダイレクトに言ったとしても「?」と首をかしげられることが良くあります。挙げ句の果てには,あなたは自分の言いたいことだけしか言わないと言われてしまいます。
 いきなり,○○を貸してほしいと言われても,それが誰かの話を聞いている文脈で周りのみなさんがみんなメモしている文脈ならば,ああペンを忘れたんだなあと推測できるので,ごめん書く物を忘れてしまったのでボールペンを貸してもらえないかなあの言いだしでなくても,状況が分かるのでたとえいきなりでもその人が困っている様子が良く伝わってくるので,何も言わずにすぐにボールペンを貸してあげます。
 しかしながら,□□のために,がない言い出され方をされた場合には,なんでそれが必要なの?と思いますしなぜ今なの?と思いますので,その必然性はどこにあるの?と思います。言い出された人の過去の文脈をすべて把握しているわけではないので,その人自身はすべてよく分かっているのでしょうから,自動化されて,こんなことまで言わなくてもいいだろうと思っているのでしょうが,言われた側としては言ってもらわなければその人の過去の文脈は全く分からないのですから,推測しようがありません。文書でください,とまでは返さないまでも,少なくても言われる側が理解できるくらいの文脈の中身を聞かせて欲しい物です。
 人に説明したり何かを頼んだりするときには,いつもどこから何から話をしたら相手がよく分かってくれるのかなあと心配りながら行うように努力しています。