信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

答え教えろよの発話が出てくる背景

 答え教えろよの発話が出てくる背景を探ってみると,まず答え教えろよと発話する側には,早く答えを知って安心したいという心理が働いているように思います。それだけ,授業者が答えだけを求めているのかもしれないという推測も出てきます。答え教えろよではなく,一緒にやろうがよりベターでしょうが,どう考えたらいいのとかこうやったら答え出せるのとかと言った文脈での発話がでるように授業者が工夫する必要があるでしょう。
 次に,答え教えろよの発話を聞く側,聞かれる側,助けを求められる側にも同じような心理が働いているように思えて仕方がありません。授業者に答えを強く求められるのであるいは自己評価できる手立てがないために,とにかく答えを教えてあげなきゃという気持ちでしょうか。答えだけを教えても相手は本当によく分かってくれるのでしょうか。その当たりに思いを及ばせられるようになってほしいと思うところです。
 答え教えろよと言われたら,発話してきた相手がどこまで分かっていてどこまで分かっていないのかを尋ねてみたいものです。今何が求められているのかつまりゴールは何か,そのゴールに向かうために何(どのような知識や経験)が必要なのか,それは発話してきた相手は引き出せるのか,引き出せないとしたら,自分が一緒にそこまで戻って引き出せるように手立てを講じてあげなければ,と思いが及べば良いです。その子がどこでつまずいているのかを診断し処方しなければならないからです。分からなくて困っているその子を見捨てないために。そのために,授業者が語ってあげられるようになってほしいと思うところです。
 言うは易し行うは難しで,いざ実践となるとなかなか難しい所です。その意味では授業者自身もトライ・アンド・エラーの繰り返しかもしれません。私たちの研究室では全国で頑張っておられる先生方を学校を15年間,応援し続けてきています。