40年以上前の大学生だったころのこと,学務担当の方に趣味は何ですかと問われてありませんと答えたら,趣味がないなどということはないので何か書いてくださいと返された記憶は未だに鮮明です。そもそも趣味って何だろう,と。趣味の操作的定義は何かをまず調べて見ないことには先に進めないのでしょう。
自分自身のことは知っているようでいて,案外知らないことが多くあります。何気なく過ごしていると,知っているつもりになっているだけに留まっているからです。
先の例のように,誰かに聞かれて自分のことを説明する機会がないと自分自身のことは知っているつもりになっているだけで実は知っていないことを初めて知ることになります。それも,それじゃあ(そん説明じゃあ)分からないよ,と言われてみないと知っているつもりから抜け出せません。
学校現場の毎日の教科の授業では,その現象が頻繁に起きています。
自分自身が理解できたのかどうかを知っているのかどうかはあやふやです。自分自身は自分自身のことだから当然,理解していますよと理解しているはずです。ところが,いざ,誰かに聞かれてみる(質問されてみる)と,あれ?と戸惑ってしまうことが多くあります。まさに,知っているつもりになっているだけだからです。
そんなときには,誰かに自分自身が何をどのようにどこまで理解しているのかを説明してみると良いです。自分自身が理解できているのかどうかをよく知ることになります。自分自身をより良く知るためには,誰かと自分自身のことについて話をしてみる機会を持つことがとても有効でかつ有用です。
『学び合い』の考え方では,学校現場で日常の,毎日の教科の授業でそれを行っています。だからこそ,自分自身のことをよく知るようになるのです。もちろん,相手のことも。
それが『学び合い』の考え方です。