信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

分かっていない子が誰かを知っていますか?

 今日は2007年10月16日のブログから少し引用して,それに若干加筆修正してお伝えします。
 授業中の生徒の会話の中に次のようなものが現れました。「雲って気体でしょ?」「気体じゃ見えないじゃん。」「曇って液体と固体じゃないの?」,「(授業者から実験の道具を取りに来るよう指示されて)俺も行かなきゃいけないの?」,「(板書を書くように指示されて)俺の写しといて。」,「水いくら(入れるの)?」「分かんない。」,「線香こん中に入れていいん?」,「線香って雲?」,「考察なに?」,「山の上って気圧が高いの?」「気圧って何?」,「暖気と寒気って何だっけ?」,「雲って何でできんの?」,「もう,分かんないよ。」,「全然分かんないし。」
 これは,わずか1単位時間の授業中の生徒の会話です。中には,学習を終えたばかりの内容に関する発話もあります。このようにはっきりと発話して自分の意思を表明してくれる生徒はいいのですが,私語を禁じられている多くの場合,授業者は誰が分かっていて誰が分かっていないのかさえ,分かっていないのではないでしょうか?
 机間指導をしているではないかという反論が聞こえてきそうですが,果たして机間指導をしてどれだけ生徒の理解度を正確に把握できるでしょうか?百歩譲って,たとえ把握できたとして,何人の生徒にどれだけ対応できるのでしょうか。机間指導時のみとりを徹底すれば,評価のための授業になってしまいかねません。
 そもそも,子どもたちは,自分が分かっているのか分かっていないのかを分かっているのでしょうか?自分が分かっているか分かっていないかを判断するコツは,何も見ずに誰にも頼らずに自分一人で,誰かに説明してみることです。すらすらと説明できれば,分かっていると判断して良いですが説明できなければ分かっていないと判断できます。
 あなたは,クラスの中で誰がどれだけ(どこまで)分かっているのかを分かっていますか(分かっていない子が誰で,その子は何が分かっていないのかを分かっていますか)?