信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

学び合う文化

 学び合う文化なのか学ばせられ合う文化なのかはその判断が難しいところです。学び合う文化なのか,それとも学ばせられ合う文化なのか,その違いは何でしょうか?実証したデータに基づいた議論ではなく,これまでの私の経験から言わせてもらえれば,それは学ぶ側の学び手が学ぶ必然性を持っているか否かであろうと考えています。学ぶ必然性を持つに至るには,学び手が自分ごととして認識しているか否かに依ります。
 先生に言われたからやるのではなく,先生を忖度してやるわけでもなく,あくまでも自分の意思でそれをやる必然性があってやることによって初めて学び合う文化が生まれるものであると考えています。それも,自分一人だけではなく,相手もそのようになっている必要があることは言わずもがなです。学び”合う”のですから,当たり前のことと思います。
 さらに言わせてもらえるならば,学び合っているのか学ばせられ合っているのかの判断は,教師ではなく児童生徒がするものです。往々にして,教師の評価と児童生徒の評価はズレることがあります。たとえ,教師が学び合っていると評価したとしても,児童生徒が学ばせられ合っていると評価しているのであるならば,それは学ばせられ合う文化でしかないと私は考えます。その意味においては,世に学び合う文化は星の数ほどあれども,それが真の学び合う文化であるか否かは判断が難しいところではないかと思うところです。
 現象論的には同じ様態が現れてきて区別などできない状況なので,現象論的に見極めようとするとすべてが学び合う文化になってしまうのではないかと勘違いしてしまうほどです。ちなみに,『学び合い』の考え方は,学び合うことを目的としている考え方ではないですので,誤解されないように改めてお伝えします。