信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

帰納的にするか演繹的にするか

 『学び合い』の考え方を使って授業をするときには,目標(課題,めあて,ねらい)が肝であるとよく言われます。そのとおりです。子どもたちをどのようなゴールに連れて行きたいのかは教師の力量に他なりませんから。
 その目標を設定するときには,帰納的なものにするのかそれとも演繹的なものにするのかは考えどころです。私も,出前授業の要請がきたときには,実施させていただく単位時間の目標を帰納的にするか演繹的にするかは,いちばん時間を要するところです。
 たとえば,今,手元に小学校第3学年の理科の教科書があるのですが,あかりをつけようの最初のところの単位時間をどのように目標設定しますか?
 日本の学校教育の指導に従えば,帰納的な設定にするでしょう。
 「豆電球と乾電池をどのようにつなぐと明かりが付くのでしょうか。そのことについて全員が,実験結果を使って,クラスのみんなによく分かってもらえるように分かりやすく,自分の言葉で説明することができる」となるでしょう。日本の学校教育の理科の一般的な授業スタイルなので,『学び合い』の考え方の経験が十分でない場合には,これが無難かもしれません。「教科書は,閉じておきましょう」という声が聞こえてきそうです。
 その一方で,演繹的に展開する提案も随所で成されています。
 たとえば,同じ単位時間の目標を次のようにすることができます。
 「乾電池の+極,豆電球,乾電池の-極が1つの輪のように導線でつながっているとき,電気が通って豆電球に明かりが付きます。そのことについて全員が,実験結果を使って,クラスのみんなによく分かってもらえるように分かりやすく,自分の言葉で説明することができる」とします。演繹的に推論を進めていくことができ,演繹的な考察力を培うことができるのです。ただ,この手法は,何度も言いますが,日本の学校教育の理科では馴染みがありません。「なぜ,最初から答えを出すのか?」と質問されること,間違いないからです。「それは,授業の最後に,みんなで見つけるものでしょう」と。
 私は,後者の演繹的な目標設定,授業展開に慣れ親しんでいますから,何も違和感を持ちませんが,今の日本の学校教育においては圧倒的に帰納的な展開がほとんどですから,出前授業でこのような展開の授業を,『学び合い』ライブ出前授業で実施すると違和感をもたれます。「あれは大学の先生だからできるんだ」と。果たしてそうでしょうか?みなさまにもできます。みなさまなら,子どもたちの20年後の姿を思い描かれて,帰納的な目標設定を選びますか,それとも演繹的な目標設定を選びますか?