信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

教えることは学ぶこと

 教える,つまり何かをだれかに伝えようとする際には,伝える側つまり自分自身も学んでいます。ただ,教える行為に没頭しているからでしょうか,教える行為を取って結果が出るまでのプロセスにおいて自ら学んでいるという意識に至ることはあまりないようです。経験から言わせてもらえると,教える者の人間性にも依存することでしょうが,それでも,教える側と教えてもらう側の知識ないしは経験の違いが大きければ大きいほど,そのような傾向があるのではないかと思うところです。自分が教えているんだから学ぶことなどない,と。
 実際に教えてみると,教えるまでのプロセスにおいては,教える内容に関して自ら学ぶプロセスが存在していることは間違いありません。その学ぶプロセスが教える行為を取るときの直近なのか遠い過去なのかの違いだけでしょう。それも何回も繰り返したのか繰り返していないかの違いにも依存します。いざ教えようとするときには,遠い過去に学んだ内容であったとしても,自分の専門を極めた領域であったとしても今一度自らの中でリフレクションが行われ,呼び覚まされるプロセスを経るはずですから,そこに自らの学びが間違いなく生起います。
 もう1つの学びは,教えてもらう側から学ぶ点です。教えているつもりでもそれは実は学び手から教えてもらっているプロセスを経ていることでもあるのです。学び手つまり教えてもらう側の者のさまざまな反応,それも全く反応しない様態から過剰に反応する様態まで,教える側が期待している反応から全く想定外の反応まで,さまざまな反応から学ぶプロセスに突入します。学び手のさまざまな反応からの学びを遮断する方も中にはいるようですが,もったいないことです。そこからの学びが実は自らの学びを再認識させてくれる機会を与えてくれ,新たな学びの生起をもたらしてくれるからです。
 教えることは学ぶことです。