信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

集団の文化づくり

 分かった子と分からない子がいるとします。通常の授業の場合,理解の様子は一人一人が違っていて当たり前なので,そのような現象が現れるのはいつものことでしょう。日本の学校教育の場合,通常,分かった子が分からない子に教える構図を思い描くことでしょう。つまり,分からない子が分かった子から教えてもらうのです。教えてもらうのは,分からない子だけでしょうか?
「分からないところを教えて」
「どこが分からないのか,教えて」
「どこまで分かったのか教えて」
「どこから分からないのか教えて」
「困っていることが何かを教えて」
 これらは,『学び合い』の考え方では,魔法の言葉群です。素敵な言葉です。分からない子にしゃべってもらうことを促す言葉だからです。つまり,分かった子が,分からない子に対して外化(Output)を促そうとして,アプローチしている現象として捉えることができます。
 分かるためには外化させることが必要です。分からない子は自分一人で外化させることはなかなか難しいことのようです。何が分からないのか,どこまで分かっていてどこでつまずいてどこから分からないのかさえ分からないことが多いからです。そんなことが分かれば,ゴールに向けて最短距離を通ることができるでしょう。
 したがって,分かった子が単刀直入に,前述の言葉を発しますが,もっと言わせてもらえるならば,もっとスモール・ステップで分からない子に対して外化させてあげることができれば申し分ありません。某県の小学校第2学年の子どもたちにできるのですから,発達段階に依存するものではありません。誰にでもできます。
 誰にでもできることなのですが,なぜしないのかできないのかと言えば,教える行為を「分からない子にしゃべってもらうこと」と捉えずに「分かっている自分が分かっていることを一方的にしゃべること」と捉えているからに他なりません。時間がかかりますし,なかなか容易なことではないからでもあります。分からない子のためになんで自分がそんな面倒なことをしなければならないのかという思いも心の中のどこかに少しあるのかもしれません。
 それを乗り越えるには集団の文化づくりです。