事実と考察を分けることは難しいものです。何が事実で何が考察かの判断に慣れていないことからかもしれません。「忙しい」というのもその一つです。「忙しい」と言ったこと自体は事実ですが,「忙しい」ことが事実であるかどうかは操作的定義によります。つまり,「忙しい」というのは操作的定義が成される訳ですから考察です。
ある人が忙しいと感じたとしても,別の人にとっては忙しいと感じないかもしれませんから。忙しいかどうかは,その人次第です。年度はじめですから,学校現場のみなさんはいずれも忙しいことと思います。しかしながら,忙しいこと自体を魅力であると感じ,それに敢然と立ち向かっていくエネルギッシュな人もいるでしょう。忙しくなくなったら,魂が抜けたようになってしまって自失呆然としてしまいます。
忙しくしている方が自分らしくていいと感じるときがあります。忙しいかどうかは自分次第であって,リフレーミング的にとらえると忙しさを糧とすると見方が変わってきます。