信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

○○でなければならない

 自戒を込めて。日本の学校教育においては,「○○でなければならない」ことにあふれています。日本の社会がそのようになっていると言っても過言ではないのかもしれません。私もその環境の下で義務教育,中等高等教育を受けてきたのでその感覚が体中に染みこんでいます。どんなときでもどんなことでもどのようになっていても,「○○でなければならない」という意識に縛られます。最近は,ダイバーシティという表現を聞く機会が多くなりましたが,まだまだ私たちの周りは多様性どころか,○○でなければならないことだらけのように思われます。
 北欧諸国を視察してみると,実に多様です。違っていて当たり前であることが当たり前に受け入れられていて,多様であることが普通であって,○○でなければならないことが異様に移ります。国の文化があるので,一概には言えませんが,日本の学校教育においても少しでも多様性を受け入れていく必要があるのではないかと思うところです。そのためにも,まず私自身から,○○でなければならない呪縛を解き放さなければなりません。
 学生は○○でなければならない,授業は○○しなければならない,卒論は○○でなければならない,ゼミ生は○○でなければならない,職員室への入り方は○○でなければならない,『学び合い』の考え方を使った授業は○○でなければならない等々。挙げ始めたら,切りがありません。○○でなければならないのは,自分自身の心の中にあるしがらみであって,それは自分自身のもつ文化に依存した自分だけの思いにしかすぎないことを知らなければなりません。違っていて当たり前なのです。それを受け入れましょう。