信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

分からないことがあったら質問していいですよ

 分からないことがあったら質問しても構いませんよ,と言われることはよくあることです。

 何も,『学び合い』の考え方でなくても,私たちが50年も前に受けたときの授業でもそれは言われたことです。授業の時に「何か分からないことがあったら手を挙げて質問してください」と言われます。手を挙げて質問してくださいと言われて,授業の最中に手を挙げて質問するかどうかは別にして,少なくとも,そのような環境は用意されていたことをかすかな思い出として覚えています。私は,一度も挙げたことはありませんが。

 「分からないことがあったら質問してもいいですよ」とはよく言われますが,「分からないことがあったらいつでも質問してもいいですよ」と言われることは,なかなかありません。先生がしゃべっている,まさにその最中に,先生の語りを遮ってまで手を挙げて,「先生,質問があります」と言うのは余程勇気が必要です。能力があり自信がない限り,できることではないように感じます。私は人生の中で一度もしたことはありません。

 同様になかなかあり得ないのは,「分からないことがあったらどんなことでも質問していいですよ」です。「どんなことでも」と言ってくれる先生はそうそういないものです。どんなことでもいいですよと言ってくれたとしても,先生が今,説明している内容に関して”どんなことでも”であって,その前提となるような前学年で履修する内容とか下校種で履修する内容を質問することははばかれます。言ってくれる先生の方も,まさか前学年や下校種で習ったことを質問してくるとは思いませんから,質問されたら「それは(前学年で下校種で)勉強したでしょ。ちゃんと復習しておきなさい」で終わってしまうかも知れません。ですから,「分からないことがあったら質問してもいいですよ」に,”いつでも”と”どんなことでも”は加わる余地はないのです。

 もっと加わる余地がない言葉があります。”何度でも”です。

 みなさんは,小学校,中学校,高等学校,大学時代を通して,「分からないことがあったら何度でも質問してもいいですよ」などと言われたことがありますか?私はありません。

 仮に,分からないことがでてきて,1回質問したとします。それでも分からないのでもう1回,つまり2回同じことを質問したとします。質問を受けた先生はおそらく,いやな顔をするでしょう。「1回説明したのになぜ分からないのか」という思いでしょう。それでも「じゃあ,もう1回説明するからよく聞いててね」と言って説明してくれるかも知れません。それでも分からなくて同じ質問を3回目にしたらどうでしょう。おそらく,答えてくれないのではないでしょうか。2回も同じことを説明したんだからもういいだろう,と。

 それが,『学び合い』の考え方ではない授業の一般的な現実です。「分からないことがあったら質問してもいいですよ」と言われることはありますが,「分からないことがあったらいつでもどんなことでも何度でも質問してもいいですよ」とは絶対に言われません。全国は広いので,絶対はないかもしれませんが,少なくとも,57年間,私は聞いたことがありません。

 なぜ,「分からないことがあったらいつでもどんなことでも何度でも質問してもいいですよ」と言わないのでしょうか。特に,私は分からない子にとって,”何度でも”がミソだと確信しています。同じ質問を何度でも繰り返ししてもかまわない環境が整っていることが,分からない子の分からなさを解決に導いてあげる最善とは言いませんが,最良の手立てであると考えています。

 分からない子にとっては,1回聞いて分かるかどうかは分からないのです。だって,初めてのことに立ち向かって目標を時間内に達成しなければならないミッションを与えられているのですから,1回聞いて分かるかどうかはやってみなければ分からないじゃないですか。初めてのことをやるんですから。

 ですから,授業の時に,「分からないことがあったらいつでもどんなことでも何度でも質問してもいいですよ」と言ってあげてほしいと願って止みません。すくなくとも,「分からないことがあったら何度でも質問してもいいですよ」です。

 『学び合い』の考え方では,「分からないことがあったらいつでもどんなことでも何度でも質問してもいいですよ」です。そこにもう一つ「本当によく分かるまで」が加わるのが,『学び合い』の考え方の特徴です。

 「分からないことがあったらいつでもどんなことでも何度でも,本当によく分かるまで質問してもいいですよ」。