信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

考察を説明する難しさ

 理科教育研究,科学研究を含めて,教育研究において考察をする難しさは言うに及びません。教育に限らず,一般的な研究においても同じことであると言えます。考察するからには,その考察を導き出した根拠となるエビデンスが必要です。その教育研究ないしは研究において,一つの考察を導き出すためには根拠となるエビデンスをしめされ蹴ればなりません。「私は○○と考えます。」というのは比較的簡単なことなのですが,どのような根拠からそのような考えに至ったのかそれを説明しなければ,聞き手は納得できません。もし,聞き手が追試(再現しようとして同じ条件下でもう一度同じ実験等の探究をやってみること)しようとした場合には,同じ結果が得られたとしてそれと同じ考察に至るのかどうかを,自分で試してみることができないからです。とするならば,そこには研究者なり発表者の恣意的な何かが存在すると疑われても仕方がありません。「今回はどうしても成果を出さなければならないから...」とか。
 かく言う私も,かつては論文を学会に投稿したときに,査読者から,その考察はこの論文の中のどのエビデンスから導き出したのですか,と聞かれたものです。説明不足をリフレクションして,改めて丁寧に補足したものです。過去の研究成果から,当たり前のこととして自動化してしまっていてそのエビンデスを示していなかったような場合には,先行研究の成果と併せて導き出したことであることを先行研究を示しながら丁寧に補足したこともあります。
 教育研究をしていると,自分自身にとって当たり前のこととして自動化してしまって考察していることが案外多くあり,初めて論文を読んでくれる読み手や初めて発表を聞いてくれる聞き手にはその当たりを丁寧に説明する必要性を感じるところです。
 考察というのは,一連の探究や教育研究の過程の中では一見,おまけのように見えて簡単であると勘違いしますが,実は問いを解決すべき重要なかつ本質的な過程の一つなのでもっと大切にすべきものなのです。