信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

最適解や納得解

 万人が’良い’という授業は存在しないと言われます。ある人が,これがベストだと思って実践する授業であっても,指導主事は必ずダメだしをします。仮に,指導主事が授業をする機会を持てたとしてベストな授業ができたと自負したとしても,他の誰かがダメ出しをします。1単位時間の授業を実践するときには,数多くの要素が組み合わさっていて,それらすべての要素にベストである授業を実践することはとても難しいことです。全ての要素を満たしたと思っていたとしても,ある誰が別の要素を持ってきます。なかなかやっかいです。その意味においては,授業実践に正解はないと言えるでしょう。言わば,最適解や納得解があるのみです。
 近年の教育界でも,実社会や実生活に関連する基づく諸課題の解決に向けて取り組むことが多くなってきましたが,そこには答えのない課題が数多くあります,そればかりと行っても良いくらいです,から,それに立ち向かうために最適解や納得解が求められるようになってきています。
 私の大学の授業も,正解はなく,一部を除いては最適解や納得解があるばかりです。ですから,受講生のみなさまに対しては,最適解や納得解を求めます。この授業では最適解や納得解を求めています,と。何が最適なのか,どうすれば納得できるようなゴールに辿り着くことができるのか,は誰にも分かりません。分かるのは,受講してるあなただけです,とも。
 大学生のときに出した最適解であったとしても,おそらく学校現場に行ってから自己更新する可能性は低くはないはずです。自己更新し続けて,そのときに目の前の子どもたちに対してそのときの問題や課題についての最適解を見つけることができることを期待しています。
 あなたの授業は,最適解や納得解を求める授業ですか?それとも答えが1つの正解を求める授業ですか?