見通しを持つことについて何回か記していますが,その見通しにも2種類の見通しがあるように思います。一つは,実現しなければならないゴールが明確になっている場合に持つ見通しです。実現しなければならないゴールは成果物として求められることが多くあるように思われます。論文,発表,作品,演奏等の各種パフォーマンス,試験もそうでしょう。期限が明確に決まっていることが多くあります。学校教育において多く現れます。
一方,もう一つは,実現したいと願うゴールを持っている場合に持つ見通しです。このようにしたい,このようにありたい,こうなるといいなあ,と思い描きながらゴールを設定する場合です。今思えば,就職,結婚,子育て,居築,そして老後の送り方等の人生の見通しはこれに相当するのではないかと思うところです。同じ見通しという表現を使うものでも両者は大きく異なるように思います。具体的でどちらかと言えば個人的な状況に依存する前者に比して,後者はいかんともしがたい抽象性があり社会的な状況に依存するところがあるだけに,見通しの持ち方も一味違って見えてきます。見通しを持つことが重要で大切であると分かっていて,見通しを持ちたいとは言ってもなかなか難しさを感じます。