信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

集中できるときとできないとき

 私たちの体というのは実に良くできていて驚かされることばかりです。進化を遂げてきた地球の歴史の壮大さに感心するばかりです。とげが刺さっただけで気になって集中できないことがある一方で,多少の生活音があったとしても気にせずに集中することがあります。私たちの体の中にあるネットワークが,時には鋭敏に時には鈍感に臨機応変に張り巡らされるからなのかもしれません。私たちはそのときの文脈に依存しながら生きているのだなあと感じるところです。
 授業の時でも,授業者一人が語っている場面であってもその語りの内容に集中できないときもあれば,自由な環境下でわいわいがやがやしているいわゆる雑多な音声と映像の入り乱れている状況下の中でも,その中から必要な情報だけを拾い出すことがあるときもあります。おそらく,前者の場合は授業者の文脈と異なる文脈で思考回路が働いているときなのでしょうし,後者の場合は自分だけの文脈で思考回路が鋭敏に働いているときなのかもしれません。
 とげが取れてしまえば集中力が増す環境が整うかもしれませんし,生活音が全くない静寂な環境に変化するとかえって集中できなくなってしまうかもしれません。なんとも不思議な感じがします。