実証的教育研究の技法の著書の中に,教育研究は代案を示せる者が専門家であるというくだりがでてきます。
このことは,何も教育研究に限ったことではありません。我々が日常生活を送っていく上で,いろいろな出来事に出会いますし,さまざまな提案を受けますが,それらに対して自らの考えを表明することになりますが,肯定的なものであれ否定的なものであれ,より良くする上で自らの考えとしての代案を持つことはとても重要でかつ大切です。
特に,否定的な見解を示そうとした場合,どうしても批判的な考えを表明するだけにとどまりがちですが,そこに自らの代案を示していけるようになることが,その出来事に自ら正対する上で価値あることであると考えます。自分ごととして関わり続けることができる可能性を秘めているからです。
その可能性が高くなればなるほど,代案の持つ意味は重要性を持ってきます。さらに言わせてもらえれば,その代案も現実味のあるものであった方がより良いものになる,あった方がというよりもそうでなければならないと考えられます。
現実的ではない空想論を論じるばかりでは,批判の域から脱していない状況であることに変わりがないからです。その意味においては,代案を考えながら物事に接することが必要なのかもしれません。