道ばたで人に道を尋ねられることがあります。道を歩くときには,ある目的があってその目的地に向かうときもそうですが,誰かに教えてあげようと思って歩いていないので,おそらく自分ごとになっていないのでしょう,どのように辿っていけばその目的地に辿り着くのかを全く意識せずに歩いています。
初めての土地を歩く時には,迷っても間違いなく帰って来ることができるように,特に意識してあるようにはしていますが。普段の道を歩くときには,意識していないので,突然に誰かに道順を尋ねられても,おぼろげながらには教えてあげることができますが,何本目の信号を曲がれば良いのかとか何メートルで目的地に辿り着くことができそうだとか,なかなか正確な情報を伝えることは難しい物です。一緒に歩いて連れて行ってあげられればそれに越したことはないのですが,忙しいとなかなかそうはいかないものです。
突然,道を尋ねられて,正確な情報を教えてあげることができない現象は,我々が人にものを教えてあげることを前提にして,意図的に学んでいないからです。
先の述べた,初めての道を行くときに迷っても帰って来ることができるように歩いているのは,まさにあとで自分自身に教えてあげるために学んでいる証です。
人に教えてあげようとしてみてはじめて,実は自分自身が学んでいなかったことを自覚することになります。
ただ何気なく,情報が入力されているだけで,脳の記憶媒体の中に長期保存されていないのです。誰かに教えてあげることを前提にして,誰かに教えてあげるために,もう一度学んでみるとなるほどなあそういうことだったのか,と今まで分からなかったことがよく分かるようになります。
『学び合い』の考え方では,みんなでみんなができるようになることを求めますから,自分自身が意図しようがしまいが,みんなでみんなができることを前提にみんなでみんなができるために学ぶようになります。ですから,みんなができるのです。
それが『学び合い』の考え方です。