大学の個別試験が行われています.1年に一度の試験ですから,受験生のみなさまにとっては大変な思いをしながら臨んでいることと毎年思います.一人一人のこれまでの奮闘と努力の積み重ねの尊さに思いを馳せ,今そしてこれからのより一層の活躍にエールを贈ります.これまでに何をしてきたかを自信にすれこそそればかりに固執せず,今何をしているかこれから何をしようとしているかを大切にできる自分であり続けたいです。すべての受験生のみなさまの進路希望が実現しますよう心から願っています.
小学生の朝は早いです.もちろん,もっと早く活動されている方々はたくさんおられるでしょうが,児童生徒学生の朝を見てみると,その中でもいちばん早いのが小学生のように思われます.学年が上がれば上がるほど,朝はゆっくりのように思えます.小学生の朝が終わると中学生,そして高校生の朝がやってきて,最後に大学生の朝がやってくるようです.
7時50分というと,もう列を成して集団で登校していく小学生の集団に出会います.おはようございます,今日も元気で素敵な一日を過ごしてね,と心の中で声をかけます.大きなランドセルにたくさんの荷物を両手に持って先頭の6年生のおにいさんおねえさんに一生懸命付いていく1年生のおぼしき小学生には,気をつけてねと心の声をかけます.彼らが健やかに成長し,素敵な人生を送ってくれることを願ってやみません.
折り合いを付けられるかどうかの分かれ目はどこにあるのでしょうか?換言すれば,折り合いを付けられるかどうかをどのように判断しているのでしょうか?○○は絶対に折り合いを付けることはできないから,自分のこだわりを押し通さなければならないと思うのか,それとも○○は折り合いを付けられそうだから,折り合いを付けてみんなでゴールを目指そうと思うのか,その分かれ目はどのようにして決まるのでしょうか?経験の多さによるのかもしれません。先行研究に依れば,小学校第1学年の会話は折り合いを付けるような会話ではありません。お互いに全く無関心で,自分のことを優先して語り合おうとする会話が主流です。
小学校第3学年も違います。小学校第3学年は強制的に自分のこだわりの内容の話を押し通そうとする会話が主流です。小学校第5学年も違います。相手の話の内容が分かっていようがいまいが納得できようができまいが相手に従おうとするような会話が主流です。そう考えてくると,折り合いをつけることができるようになるのは,中学校の生徒になってからのことなのかもしれません。
考えるに,折り合いを付けることができるための必要要素としては,相手の話の内容を尊重できるようになるかどうかなのではないかと経験上,思います。それは根底には相手を信じることから始まる人間関係の構築があるやに思われます。相互承認観や相互肯定観の醸成に他なりません。集団育成の要として,お互いの語り合いを尊重して聞き合える文化を育てることが肝要なのではないかと考えるところです。折り合いを付けようと言えば良いのでしょうが,テクニックとしてどのようにしたら良いかは伝わりづらいところがあるでしょうから,お互いを信じ合おうと言った方が子どもたちには伝わりやすいのではないかと思うところです。