信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

【2010.3.1再掲】自分に合わないサイズの衣服

 一般に,着用する衣服を選ぶときには,自分の体格にあったサイズのものを選びます。サイズもS,M,L,からLLL,キングサイズなど,様々用意されています。スラックスは必ず試着して裾上げを要します。背広やワイシャツなどは採寸して自分にあったものを購入することもあるくらいです。自分の体格にぴったりフィットするものの方が機能的ですし,着心地も良いことは言うに及びません。靴も同じです。0.5cm刻みで市販されてることはご存じの通りです。サイズだけでなく,自分の足の形に合わせてたくさんある靴の中から自分の足にぴったりあうものを選ぶでしょう。それが当たり前のことです。
 もし,学校で使用する制服や体育着について「大は小を兼ねるといいますし,着用したときにゆとりがあっていいのでこれからはLLLを着ることにします。LLLはとても良いものです。みんなでLLLを着ましょう異。また,靴のサイズは30cmにします。靴もゆとりがあった方がゆったりできて良いからです。みんなで30cmサイズの靴を毎日履きましょう」とでも話して,全員にLLLサイズの衣服や30cmサイズの靴を薦めたらどうなるでしょうか。おそらく,一斉に反発されるでしょう。
 40人いれば,40人とも体格が異なっており,一人一人の体格に合わせたい服や靴を用意しなければならないということは誰もがよく知っていますし,また,必ずそのようにするからです。一人として同じ体格の人はいないということは当たり前のことなので,一人一人の体格に合わせて用意するのです。
 しかし,学ぶときの理解の場合はどうでしょうか。理解という”体格”となると,それにぴったり合った”衣服”や”靴”を探そうとすることは稀です。服や靴のサイズ選び等と同じで,理解の仕方も40人いれば40人とも理解の仕方が異なっているにもかかわらず,それにぴったり合うような情報を探そうとすることはありません。ともすると,”LLLサイズの衣服”を授業者の視点から良いということだけで,子どもたちに薦めているのです。つまり,教師の教材研究や指導法という視点からだけで,子どもたちの一人一人異なる理解の仕方に合わないものを授業で使用していることになりかねないのです。
 教師の考えた教材や指導法は,”自分に合わないサイズの衣服”や”自分に合わないサイズの靴”になってはいないのでしょうか。”自分に合わないサイズの衣服”や”自分に合わないサイズの靴”がぴったり合う子どもたちもいますが,ほんの一握りの子どもたちにすぎません。つまり,教師の考えた教材や指導法は,ほんの一握りの子どもたちにしか,ぴったり合わないのです。教師の考えた教材や指導法では,分からない人が一人もいなくなることはあり得ないということを,私たちはもっと真摯に受け止めなければなりません。
 なぜ,理解という”体格”にぴったり合った探究方法という”衣服”や”靴”を探すことを子どもたちに任せられないのでしょうか?いくつか要因が考えられるでしょう。一番大きな問題点は理解の仕方が目に可視化されにくいことです。まして,子どもたち自身が自分が分かったのか分かったつもりになっているだけなのかを分かっていない場合が多いことによります。それだけに授業者にとってはなかなか注目しにくいのです。可視化されないだけに問題意識もなかなか持ち得ないことも事実でしょう。そして,分かったことや分からなかったことが序列を生むことになりかねないからです。
 他のその一つは,子どもたちの有能さを信じられないことです。つまり,子どもたちには力がなくて,教師が教えてあげない限り,自分にぴったり合ったサイズの衣服や靴を探すことができないという児童観にとらわれている場合です。心配は無用です。子どもたちは至って有能ですから,ちゃんと自分にぴったり合ったサイズの衣服や靴を探し当ててきます。そして自分にぴったりの衣装を身につけて結果を出してくれるのです。さらには,管理上の問題もあるでしょう。”LLLサイズの衣服”を用意した方が管理しやすいですし,評価もしやすいことが挙げられます。いかに,授業者に問題意識として最優先で認識してもらえることが今後の課題でしょう。