信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

根拠のない話

 根拠のない話を聞くことがあります。特にこだわりを持っている内容や自分事の内容の場合,時に感情的になってしまうことがあって根拠を瞬時に探すのが一苦労するような文脈であることに依るものと考えられます。くじらが空を飛んでいるのを見たよ,という語りを聞いたとしてもにわかには信じがたいことであることはよく分かっていただけると思います。くじらが空を飛ぶ証拠とその科学的な根拠を示してもらえれば分かるのですが,過去にそれは証明されてませんから信じがたい内容になっています。我々の世代ですと,ネッシーがそれに近いかもしれません。
 日常会話の中にもそれは登場します。根拠となる科学的なデータや蓄積されたデータを示してほしいと思うのですが,相手にはなかなか通じません。折り合いをつけるためには必須事項です。
 根拠が示されているかどうかが会話の際の重要な決め手になることはすでに実証されていますから,自明です。根拠もなく語っているとその内容はとても信じがたいので会話がかみ合わなくなります。いわゆる無関心ケースです。根拠もなく語っているのに,聞いている相手が納得してくれることがあります。先のくじらの話をしたとしても,へえーっそうなんだ,と納得してくれる方がいたとしたら,それは安易合意ケースです。
 その一方で,根拠を示しているにもかかわらず,相手が納得しないこともあります。強制ケースです。根拠だと言って示してくれている証拠を慎重に見極める作業が必要かもしれません。根拠を示してくれていてそれに納得できるような会話が折り合いをつける上で必要です。経験交換ケースと呼ばれる共生しようとするときに求められるやりとりになります。
 相手が納得してくれるような根拠をわかりやすく示しながら語りたいものです。