『学び合い』も学び合いも現象論的には同じ見かけの状態を呈します。見た目は全く分かりません。
何が違うのか,これまでの経験に基づいて議論するならば,目の前で展開している現象によって子どもたちがどのような力を付けるのかを授業者だけでなく,子どもたち自身が意識しているかのが前者です。
一方,現象は現れますがその結果として子どもたちにどのような資質・能力を習得されなければならないのかが欠落しているないしは不明瞭であるのが後者です。
もちろん反論はあるでしょうが,後者の場合,より具体的な指標として授業者自身が授業前に持ち合わせていない場合が該当します。授業者自身が持っていないまま授業に臨むのですから,子どもたちが意識するはずもありません。
その意味においては,子どもたち自身が授業終了時のゴールとして具体的な姿を思い描きながら,自ら学びのプロセスを歩んでいる授業が『学び合い』の考え方としての授業であると換言できます。