信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

原則として

 「○○は原則として△△です」と言われることがよくあります。同じような表現に「等(など)」が用いられることもよくあることです。
 特定の事柄や現象を示すのですが,それにとどまらず,それに類似したことも含みます,という使い勝手の良い表現です。私もよく使ってしまいます。
 しかしながら,読み手にとっては,「原則ではないことはどのようなことがあるのですか?」と尋ねてみたくなります。おそらく,尋ねてみても期待倒れになることは見えていますが。読み手にとっては,ダメなものはダメと解釈するのですが,書き手にとっては,そうではありません。□□の内容なら許容範囲ですけれども××の内容なら許容できないとか。Aさんなら今回だけは認めてあげますけれどもBさんは何回も繰り返しているので認めてあげることはできません,とか。書き手の判断一つによって,いくらでも”原則”が自由自在に変えられていきます。それは書き手にしか分からないことなので,読み手には一切分かりようがありません。
 そうであるならば,最初から(公表する時点で),”原則”の操作的定義を具体的に列挙して,これは○だけれどもこれは×であるという,書き手の判断基準を全部明確に示してほしいものであると思います。
 『学び合い』の考え方では,子どもたちが活動に入る前にすべて公表します。”原則として”はありません。