信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

『学び合い』の考え方を誰も知らない学校で一人で始める尊さ

 私たちの研究室の卒業生は,3年間『学び合い』の考え方を勉強します。卒業研究も『学び合い』です。卒業するときには,おこがましいことですが,『学び合い』の考え方のエキスパートとも言える状態に高まっていると自負しています。しかしながら,彼らが学校現場に出ると,なぜか『学び合い』の考え方は机の中やタンスの中にしまわれてしまいます。とんと聞くことはありません。もちろん,『学び合い』の考え方を使った授業を実践している卒業生もいますが,ほんの一握りに過ぎません。
 実践し続けている卒業生のみなさまに様子を聞いてみると,「校長先生や先生方の理解があったからです」という答えが返ってきます。それだけ,今の日本の学校教育において,『学び合い』の考え方を使った授業を実践し続けることは難しい環境であると言えます。文部科学省が,主体的対話的で深い学びに舵を切ったとは言え,現場の状況は前述の通りです。
 話は変わりますが,愛知教育大学の理科教育にかつて川上昭吾先生がおられました。もう定年退職されましたが,平成15年から18年にかけて一般社団法人日本理科教育学会の会長も歴任された,私の尊敬する方のお一人です。その先生の研究室を卒業された方から,日本一の学校の校長先生のご紹介で『学び合い』の考え方の授業を始めましたというメールが届きました。
 話を聞いてみると,実践を始めた学校には,『学び合い』の考え方をご存じの方は一人もおられないとか。そのような学校で,一人で始めたのですか?誰も理解してくれる方がいないのに?私たちの研究室の卒業生でさえ,実践できないのに?もうびっくりです。冒頭に書いた学校現場の現状を鑑みれば,学校内に理解してくれる方が一人もいない環境下で,一人で挑戦するなどということは無謀とも言えるほど驚愕的です。
 そのことが,どれだけ尊いことかは私にはよく分かります。それだけに,果敢に挑戦され始めたその高い志,強い意思と決断力,そして続けようとする本気度とバイタリティと果敢なチャレンジ精神と不断の実行力に敬服しています。少しでも力になることができるとしたらそれほど嬉しいことはありません。私も頑張って応援します。