信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

教育の大切なところ

 小さい頃に,自分の足りないところを指摘してもらってより高い資質・能力の獲得を目指して教育を受けることは大切なことです。おまえのここがだめだからこうしなさいとか,ここはもっとこうすべきだとか,なんでこんなことができないんだとか,こうしろと言ったのになんでできないんだとか,どんなことをどんなふうにやっても自分ではがんばってやったつもりでも必ず,褒められることなく,もっと高みを目指したアドバイスが受けられます。それはそれで今なら魅力的な育て方であるとは思えるようになっていますが,子供心にとっては,また怒られたという気持ちしかないものです。
 おまえはだめだ,特にだれかと比較されてあいつはこうなのにおまえはだめだと言われ続けると,自分はだめなのかあいつよりもだめなのか,と思うようになります。言われ続けると,それが自分の客観的な評価規準と評価基準として定着するようになります。歳を重ねて,就職時になって「あなた自身をアピールしてください」と言われると,自分にとってアピールできるところなどあるのか?と疑問を抱くようになります。小さい頃から,おまえはだめだ,あいつに比べるとだめだと言われてますから,自分のだめなところは指摘を受けているところであるとよく分かりますが,自分の良さなどどこにあるのか見つけようがありません。
 自分の評価がだめなところを基準としているので,それが当たり前になってしまっていて,だめが当たり前の評価です。育てられた文脈下では,だめなところが良さに変わることなどあり得ません。その意味においては,リフレーミングは画期的な手法のように思えます。だめな自分をアピールさせてもらえる魔法の言葉のようであるからです。
 親にしてみれば教師にしてみれば,自分の子どもたちにはこうなってほしいという高みがありますから,要求は自ずと高くなり不足しているところはもっと伸ばしたいと思うのは山々であることは今なら十分に理解できますが,それもバランスが必要です。
 「可愛くば 五つ数えて三つ褒め 二つ叱って良き人となせ」。これは江戸時代の農政家の二宮尊徳が子どもの叱り方について述べた言葉であると言われています。子どもを叱るときにはまず5つ数えて気持ちを静め,3つのことを褒めて,それから2つ叱りなさいと。怒ると叱るは違うことであるとよく言われます。誰にでも必ず良いところはたくさんあります。それを,日々の生活の中で,そのときの学びの一端の中で見つける努力を怠らず,子どもたちの良さを伝えてあげたいものです。