信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

アフター・コロナの学校

 アフター・コロナの学校はどうなっているのでしょうか。中華人民共和国では今,自動運転の公共交通機関が試行されていると聞きますから,学校現場も人間不在の自動処理のシステムが導入され始める可能性はゼロではありません。

   近い遠いの違いはあるでしょうが,間違いなく,自動処理システムが組み込まれます。そのときになって,さあどうしよう,と慌てるのではなく,今からそもそも論として学校の存在意義,学校って何のためにあるの?なぜ学校に行かなければならないのかに対する答えを考えておくことが肝要でしょう。
 かつて,信濃の国からこんにちはで書かせてもらった内容を思い出します。すでに利用停止になって閲覧できない状況になっている内容なので,改めて記すことにします。妄想にお付き合いください。
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2018年9月13日   [教育一般]25年後には
 25年前の理科室には,
 スタンド・アローンの98が10台あり,12cmディスクをガチャガチャ読み込みながら情報検索したり情報操作したりしながら学んでいました。懐かしい時代です。今は,タブレット端末を使います。先日,ある中学校で第3学年の授業を参観する機会がありました。自分の行ってみたい国の情報を集めてレポートを仕上げる内容です。それは見事なものです。手品を見ているようです。
 25年後には間違いなく,
 タブレット端末やスマートフォンが教室を圧巻していることでしょう。確信に近い感覚を持ちます。それどころか,AI搭載のロボットが黒板の前にいて,指示を出しているかもしれません。我々教師はいったい何をしているのでしょうか。
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 もう一つ,お付き合いください。
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2015年11月22日   [教育一般]妄想
 30年後の学校を妄想します。
 ハウステンボスに「変なホテル」という名称のホテルが開業して話題を呼んでいます。キーがなく顔認証ですし,部屋に入るまで人に会うことがなく,フロントからあちこちまでロボットが対応しているホテルとして有名です。人工知能の結晶です。一方で,豪華客船によるツアーが人気を呼んでいますが,最近,豪華客船の格安のツアーが出てきたというので調べてみると,「変なホテル」のように船内のあちこちでロボットが対応してくれていて人件費が抑えられているからなのだろうと推測させてくれます。驚くのは,船内のバーにロボットが備え付けられていて,ロボットがバーテンダーの様に上手にシェイクすることです。あっという間に飲み物が仕上がって,希望したいお客さんの所に差し出すのです。もうびっくりです。かなり複雑な動きをする行為でもロボットが対応できる時代がもうここまで来ていることを証明しているものです。これなら,30年後などになれば,現在,人間がしている仕事もロボットに取って代わられても不思議ではありません。
 さて,それでは30年後の学校はどうでしょうか。
 私の勝手な妄想です。まず,玄関は顔認証での出入りになるでしょう。玄関を入ると,現在普通の風景となっている玄関脇にある事務室は,ロボットに変わるかもしれません。「変なホテル」のように,要件はすべてロボットが対応します。次に考えることは,このままいけば,教師は必要なのだろうか,ということです。私の担当が理科教育なので,理科について言わせてもらえれば,今のまま教師が一方的に黒板に必要事項を書いて子どもたちがそれを写していく授業や教師が能動的に学ばせている今の授業のままであれば,教師など全く必要ないでしょう。先に紹介したバーテンダーの代わりをロボットができるのですから,30年後などは理科の教師の替わりをロボットがすることは現実的です。
 たとえば,理科室にやってきた子どもたちが,
 機械のボタンを押すと,「今日の目標です」とロボットに言われて,次のボタンを押すと観察,実験に必要な項目が表示され,さらにボタンを押すと必要な観察,実験器具が指示され,自分でそのある場所に必要なだけ取りに行って必要な観察,実験を済ませて自分であるいは自分たちで片付けるだけです。自分たちで考察したら,ボタンを押してロボットの求めるものになっているかどうかをチェックします。もし危険な状態になるようなら部屋中に「ブー」というブザーが鳴り響くか,大音響で「危険です」とロボットに注意されるかのいずれかです。もちろん,演示実験はロボットがするでしょう。そう考えると,理科の授業をする”教師”はロボットで十分です。30年後の理科の授業をする”教師”はロボットです。理科でこのような妄想ができるのですから,他の教科は推して知るべしです。学校に人間の教師は必要なくなり,授業はすべてロボットがやってくれる時代がやってくる,そう,実はその予兆は,もうそこまで来ているのかもしれません。すでにビッグ・データの活用は始まっていますから。
 そんな馬鹿な,と思うかもしれませんが,
 それなら,30年前の学校の職員室がどんな状況だったのかを思い出してください。私くらいの年代ならばその回答を導き出すことができます。もちろん,建物は残ってそのままです。しかし,職員室の中での仕事はガリを切って印刷用原稿を作成し,手回しで印刷していた時代です。その職員室に,ガリを自動で切ってくれる機械が入ってきた時代です。薄い青い色でマス目が印刷されている原稿用紙に鉛筆やボールペンで手書きして,その機械にかけると手書き部分を機械が読み取って自動針でガリ切りを数分でしてくれるのです。今では信じられないかもしれませんが,その当時,画期的なことが起きたと思ったものです。もちろん,印刷物はすべて手書きです(当時,学級通信を毎日出していた,時には1日に2枚学級通信を出していた25年前でさえ,学級通信は全て手書きでした)。ワープロ専用機の「文豪」等が現れるのはもうちょっと後の時代ですから(30年前のコンピュータは新古車を購入できる100万円近くするほど高価な時代です)。USBメモリーなど,007の未来映画の中だけの話で,夢のまた夢物語でした。30年とはそれほどの時代の違いを感じさせる時間です。これから30年後,今の私の妄想が妄想でなくなる可能性は否定できません。30年後に学校が残っているのか?残っているとしたら学校はいったい何をするためのところとして生き残っているのか,それが『学び合い』の考え方であることは必然です。
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