信濃の国からこんにちは

三崎隆です。私たちは『学び合い』(二重括弧の学び合い)の考え方を大切にしています。

非同期型の語り

 『学び合い』ライブ出前授業では,『学び合い』の考え方を伝えるために本番の授業の前に1コマを使って語りをします。いつもならば,初めて出会う子どもたちに対して,どきどきしながら対面で語りかけるのですが,新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止と感染予防の徹底の対策の一環として,今はオンラインで語りかけています。
 同期型がままならないので,非同期型での語りとなる場合があって,画面を見ながらの語りです。実際の子どもたちの様子が分からないので,これまでの214回の出前授業を思い出しながら画面に語っています。そこに子どもたちがいるかのようにして。

第19回臨床教科教育学セミナー2020

 第19回臨床教科教育学セミナー2020が15日から21日までの7日間,オンラインで行われています。35件の発表がなされます。紙面は例年よりも手厚く4ページが割り振られています。今回は,新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止と感染予防の徹底のために,一定期間を設けての取組です。例年のような臨場感を味わうことはできませんが,その分,公開されている紙面から充実した内容の教育研究成果が伝わってきます。
 実行委員会の配慮から,それぞれの発表に対して質問する機会も用意されています。例年ならば質疑応答の時間が5分と限定されているので,時間を気にしながら慌ただしいのですが,今回は時間を気にすることなく,納得できるまで問い合わせることが可能です。4ページの紙面から内容がしっかり伝わってくる良さもあります。一長一短はありますが,できないことよりもできることの良さを感得しながら充実感を味わってもらえるのではないかと思うところです。
 時間に余裕のあるときにでも,参加してみてはいかがでしょうか。明日の自分を励ますヒントが見つかるはずです。

あるプロ野球解説者の言葉から

 あるプロ野球解説者が言っています。プロの世界を解説するのですから,その方もその道のプロであり,数々の結果を出した素晴らしい実績の持ち主です。その方は,あるチームの複数の指導者の姿勢を取り上げながら賞賛し,一軍の指導者というのは,選手の持っている力を発揮できる環境を整えることだ,と言ってます。選手に寄り添い,戦う気持ちを持たせ,働き場所を与えたら,あとは信じて任せるだけ,とも。手取り足取り,フォームをいじくることが仕事ではない,とも。まさに,『学び合い』の考え方です。その指導者のいるチームは何回も優勝しています。
 『学び合い』の考え方が,何も学校教育においてのみ通用し,効果をもたらすものではありません。目標を示し,その目標に向かう環境を整え,信じて任せ,その結果がいかようであったのかを評価するのがあるべき指導者です。
 この解説者の言葉を借りて,学校現場に当てはめるとするならば,「学校の指導者というのは,児童生徒の持っている力を発揮できる環境を整えることだ。児童生徒に寄り添い,勉強しようとする気持ちを持たせ,学ぶ場所を与えたら,あとは信じて任せるだけ。手取り足取り,学び方をいじくることが仕事ではない」となります。

後期もまもなく終わろうと

 1ヶ月近い遅れで5月から学部・研究科の授業が始まった本年度ですが,ようやく後期もまもなく終わろうとしています。ここへきて新型コロナウイルス感染症の新規陽性者数が増えてきていて,長野県でも全県域に医療警報が発出され,さらに緊急事態宣言対象区域との往来の自粛,体調が悪い(10日以内に悪かった)方の外出自粛などが要請されました。ずっと同期型オンラインの授業が続いてきましたが,1年を経ても変わることはありませんでした。前期・後期ともに同期型オンラインでの授業で終わることになりそうです。
 本学も一昨日改めて,今一度気を引き締めて感染対策の徹底を,と学生に呼びかけています。1日も早く,すべての授業が対面で行われるようになることを願っています。

続くオファー

 本年度は出前授業の話題を提供できる機会が少なくなっています。そんなことを考えていたところ,昨日,来年度の2回分の出前授業のオファーが来ました。加えて,来月の講演のオファーも来るので二度びっくりです。それも数時間のうちに,次から次へと受信されるのでうれしいやらとまどうやらで1日ばたばたしていました。とても有り難いことと感謝しています。一部都府県には緊急事態宣言が発令中ですが,年度が改まる頃には対面での出前授業が実施できる環境が整うことを願っています。みなさんにお会いできることを楽しみにして。

B3の卒論調査が始まった

 今日から,私たちの研究室のB3(学部3年生)のみなさんの卒業研究の学校現場での調査が始まります。本年度は,私たちの研究室にはB3のみなさんが5人所属していますが,すべて同じ学校で調査をさせてもらうことになっています。このコロナ禍の下で,ご協力いただけることをありがたく思っています。許可くださった校長先生に心から感謝します。
 私たちの研究室では,卒業研究の学校現場での調査は,原則として10単位時間を基本としています。この基準は,いちばん最初に卒業研究の調査に行った先輩が取り組んだときの実績に基づいています。卒業研究は1年での勝負になるので,10単位時間を超えると1年で終わらなくなります。そうかといって,あまりにも少なすぎても「(そんなに少ない単位時間で得られた結果を使って)それで一般化できるのか」という批判を受けます。
 10単位時間なので,週3時間の学年でおよそ4週間,週4時間の学年でおよそ3週間の間,学校現場に出向きます。学校に迷惑をかけないように,直近の2週間の検温と健康チェックを行い,問題がないことを報告させてもらっています。調査日は当日の検温と健康チェックをして行きます。これからの時期は,インフルエンザも流行することが懸念されるときなので,新型コロナウイルス感染症と合わせて注意が必要となっています。5人のみなさんが健康で乗り切ってくれることを願います。

アフター・コロナの学校

 アフター・コロナの学校はどうなっているのでしょうか。中華人民共和国では今,自動運転の公共交通機関が試行されていると聞きますから,学校現場も人間不在の自動処理のシステムが導入され始める可能性はゼロではありません。

   近い遠いの違いはあるでしょうが,間違いなく,自動処理システムが組み込まれます。そのときになって,さあどうしよう,と慌てるのではなく,今からそもそも論として学校の存在意義,学校って何のためにあるの?なぜ学校に行かなければならないのかに対する答えを考えておくことが肝要でしょう。
 かつて,信濃の国からこんにちはで書かせてもらった内容を思い出します。すでに利用停止になって閲覧できない状況になっている内容なので,改めて記すことにします。妄想にお付き合いください。
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2018年9月13日   [教育一般]25年後には
 25年前の理科室には,
 スタンド・アローンの98が10台あり,12cmディスクをガチャガチャ読み込みながら情報検索したり情報操作したりしながら学んでいました。懐かしい時代です。今は,タブレット端末を使います。先日,ある中学校で第3学年の授業を参観する機会がありました。自分の行ってみたい国の情報を集めてレポートを仕上げる内容です。それは見事なものです。手品を見ているようです。
 25年後には間違いなく,
 タブレット端末やスマートフォンが教室を圧巻していることでしょう。確信に近い感覚を持ちます。それどころか,AI搭載のロボットが黒板の前にいて,指示を出しているかもしれません。我々教師はいったい何をしているのでしょうか。
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 もう一つ,お付き合いください。
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2015年11月22日   [教育一般]妄想
 30年後の学校を妄想します。
 ハウステンボスに「変なホテル」という名称のホテルが開業して話題を呼んでいます。キーがなく顔認証ですし,部屋に入るまで人に会うことがなく,フロントからあちこちまでロボットが対応しているホテルとして有名です。人工知能の結晶です。一方で,豪華客船によるツアーが人気を呼んでいますが,最近,豪華客船の格安のツアーが出てきたというので調べてみると,「変なホテル」のように船内のあちこちでロボットが対応してくれていて人件費が抑えられているからなのだろうと推測させてくれます。驚くのは,船内のバーにロボットが備え付けられていて,ロボットがバーテンダーの様に上手にシェイクすることです。あっという間に飲み物が仕上がって,希望したいお客さんの所に差し出すのです。もうびっくりです。かなり複雑な動きをする行為でもロボットが対応できる時代がもうここまで来ていることを証明しているものです。これなら,30年後などになれば,現在,人間がしている仕事もロボットに取って代わられても不思議ではありません。
 さて,それでは30年後の学校はどうでしょうか。
 私の勝手な妄想です。まず,玄関は顔認証での出入りになるでしょう。玄関を入ると,現在普通の風景となっている玄関脇にある事務室は,ロボットに変わるかもしれません。「変なホテル」のように,要件はすべてロボットが対応します。次に考えることは,このままいけば,教師は必要なのだろうか,ということです。私の担当が理科教育なので,理科について言わせてもらえれば,今のまま教師が一方的に黒板に必要事項を書いて子どもたちがそれを写していく授業や教師が能動的に学ばせている今の授業のままであれば,教師など全く必要ないでしょう。先に紹介したバーテンダーの代わりをロボットができるのですから,30年後などは理科の教師の替わりをロボットがすることは現実的です。
 たとえば,理科室にやってきた子どもたちが,
 機械のボタンを押すと,「今日の目標です」とロボットに言われて,次のボタンを押すと観察,実験に必要な項目が表示され,さらにボタンを押すと必要な観察,実験器具が指示され,自分でそのある場所に必要なだけ取りに行って必要な観察,実験を済ませて自分であるいは自分たちで片付けるだけです。自分たちで考察したら,ボタンを押してロボットの求めるものになっているかどうかをチェックします。もし危険な状態になるようなら部屋中に「ブー」というブザーが鳴り響くか,大音響で「危険です」とロボットに注意されるかのいずれかです。もちろん,演示実験はロボットがするでしょう。そう考えると,理科の授業をする”教師”はロボットで十分です。30年後の理科の授業をする”教師”はロボットです。理科でこのような妄想ができるのですから,他の教科は推して知るべしです。学校に人間の教師は必要なくなり,授業はすべてロボットがやってくれる時代がやってくる,そう,実はその予兆は,もうそこまで来ているのかもしれません。すでにビッグ・データの活用は始まっていますから。
 そんな馬鹿な,と思うかもしれませんが,
 それなら,30年前の学校の職員室がどんな状況だったのかを思い出してください。私くらいの年代ならばその回答を導き出すことができます。もちろん,建物は残ってそのままです。しかし,職員室の中での仕事はガリを切って印刷用原稿を作成し,手回しで印刷していた時代です。その職員室に,ガリを自動で切ってくれる機械が入ってきた時代です。薄い青い色でマス目が印刷されている原稿用紙に鉛筆やボールペンで手書きして,その機械にかけると手書き部分を機械が読み取って自動針でガリ切りを数分でしてくれるのです。今では信じられないかもしれませんが,その当時,画期的なことが起きたと思ったものです。もちろん,印刷物はすべて手書きです(当時,学級通信を毎日出していた,時には1日に2枚学級通信を出していた25年前でさえ,学級通信は全て手書きでした)。ワープロ専用機の「文豪」等が現れるのはもうちょっと後の時代ですから(30年前のコンピュータは新古車を購入できる100万円近くするほど高価な時代です)。USBメモリーなど,007の未来映画の中だけの話で,夢のまた夢物語でした。30年とはそれほどの時代の違いを感じさせる時間です。これから30年後,今の私の妄想が妄想でなくなる可能性は否定できません。30年後に学校が残っているのか?残っているとしたら学校はいったい何をするためのところとして生き残っているのか,それが『学び合い』の考え方であることは必然です。
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